実践報告
 
特別講義「自己と他者」の授業記録
−「人間関係入門」「女性のライフコース」の講義録−
 
米谷 淳(神戸大学大学教育研究センター助教授)・西垣悦代(和歌山県立医科大学講師)
 
 
はじめに
 
 本稿は、平成10年度神戸大学大学教育研究センター後期「総合教養科目W」として実施された「自己と他者」と題する特別講義の実践報告である。「自己と他者」は、平成10年度文部省教養特別講義プログラム推進経費の補助を受けて実施されたものであり、本学の全学共通授業科目の一般的な形態とは異なり、少人数形式でグループ・セッションを中心に進める、ふりかえりと自己理解を目的とした新しい形態の授業であった。この貴重な経験を今後に生かすために、毎回の授業をVTRで録画し、さらに、毎回の授業についての学生の感想文やノートを提出させ、それらをもとに授業記録を作成することにした。授業概要と学生のノートに書かれた作文やメモや感想文は、すでに、別冊第6号に収録されている。
 ここでは、ビデオテープを再生して授業中の発話を筆記した素原稿を元に、できるだけ元に近い状態で授業を紙上に再現することを試みた。ここに収録したものは、米谷 淳(第1回、第2回)と西垣悦代(第4回〜第6回)が担当した計5回分の講義である。
 本稿のみを読まれる方の参考に、別冊第6号の「授業概要」から、ここに収録した授業に関する部分(一部訂正)を再掲載する。
 
人間関係入門(米谷 淳)
 最初の3回の授業は私が受け持った。ガイダンスで2名の学生しか集まらないこともあり、グループワークができるだけの学生が来るかどうか心配であった。計画時から、私の授業では特別講義の趣旨を説明して、学生に理解させ、学生が積極的・自発的な参加態度をとることができるように働きかけるとともに、簡単なグループセッションを行って、それ以後のグループワークが抵抗なくできるようになれさせることを第一の課題とし、丁寧に説明し、随時、自己分析やグループセッションを入れていくことにしていた。
 実際には、第1回は新たな参加者に対してのガイダンスに終始し、第2回は人間関係についての基本的な考え方を講義し、若干のふりかえりの作業をさせ、第3回でようやくグループセッションができた。
 
女性のライフコース(西垣悦代)
 西垣氏は彼女の研究分野である女性のライフコースを中心に、第4回〜第6回までの3回の授業をした。各回ごとに予めテーマを設定し、それについての講義と演習を行った。第4回は「ライフサイクル」がテーマであり、エリクソンのライフサイクル・モデルを説明した後、簡単な自己分析の作業をさせた。第5回では「ライフコース」の考え方を説明した後、学生に自分自身の人生設計をさせる課題を与え、個人作業の後で、5〜6名のグループをつくって、グループのメンバーどうしで発表させた。第6回では、彼女が行った女子大学生のライフコースについての調査結果を紹介し、ライフ構想の変化とその要因について説明し、最後に新聞の記事を読ませて、グループごとにディスカッションさせた。
講義録(平成10年10月15日)
 
                   第1回 人間関係入門(1)
 
                            米谷 淳(神戸大学・大学教育研究センター)
 
 
 みなさんこんにちは。ガイダンスの時に授業の説明をしましたが、本日、改めて授業の概要をお話します。それから少し内容に入っていきたいと思います。
 
1.授業概要
 
 この授業の科目名は「総合教養科目」と言います。
 総合教養科目とは、あるテーマを決めて、いろんな先生方が集まってオムニバスでやるものですが、あるテーマをチェーンのように順番につなげていくような仕方で講義をする科目だと思ってください。
 全学対応ですから、どの学年、どの学部の方にも参加していただけますし、単位は認定します。ただし、卒業要件にかかわる単位とできるかどうかについては、履修上の問題ですので、各学部の教務で確認してくださいね。自分は、これを卒業の単位として含めてほしいと思って登録したけれども、例えば、自由科目とか枠がありますよね。その枠をオーバーしてしまっている場合はもうカウントされない、とかというふうになる場合も無きにしも非ずで、それは各学部で確かめてください。2単位です。
 一応、講義という形式で設定されていますが、参加がこの授業の基本です。でも、この授業はゼミナールとは違います。私は、来週、ある病院の看護婦さんを対象にリーダーシップ研修というのをやるんですが、ここ何年か毎年、最低4・5回はやっていますが、そういう現場での研修、そういうものを一応セミナーと呼びたいんですが、セミナーの形式でやります。予習、復習は必要ありませんし、ここに参加していただいて、この中で、いろいろ積極的に授業に取り組んでいただければ、それで、もう単位は出しますし、あとは皆さんが各自の中に、いろんな気づきとか学びがあれば、それでいいなと思っています。
 だから、私を評価してほしい。もう1つは、この授業を評価してほしいと思っている。
 この授業は、新しい形態の授業を開発するプロジェクトに対して文部省から出る予算があって、その申請をしていたら通ったんで開くことができました。だからみなさんに率直な評価をいただきたいんです。
 (資料1を見ながら)テーマは「自己と他者」となっていますが、人間関係とか対人技能、そういった問題を扱います。その日程はテーマのところに書いてあります。
 
1〜3回(米谷)「人間関係入門」
 改めて紹介させていただきますが、私は大学教育研究センターの米谷です。専門は、社会心理学、もしくは実験心理学です。今、言いましたように、私は病院などでリーダーシップの研修などをやっております。大学院では、対人行動や人間関係を心理学や行動科学の手法で研究したり、そういうことについての研究指導をしています。
 まず、私が3回ほどイントロダクションをします。ウォーミングアップをさせていただき、そのあとで実際に現場でセミナーをやっていらっしゃる、セミナーのインストラクターとして活躍されている先生や、また、そういう問題についての権威の先生をお呼びして、担当していただくことになっています。その先生方には、授業中は、いわゆる大学生相手の講義と言うよりも、日頃、現場でやっている、セミナーでやっている話とかグループワークをやってくださいとお願いしています。
 ここでは、今、講義みたいに話をしておりますが、授業が始まりますと、いわゆるセミナー形式になると思います。「人間関係セミナー」と言うと、「自己啓発セミナー」と言うか、何かどこかの宗教団体がやっていそうな、わけのわからん怪しげなものというふうに思われなくもないですね。似てはいますが、それらとどこが違うか実際に体験していただいて感じていただきたい。大学の先生方が現場で、どんなふうなセミナーをしているのかということも実際、体験してわかっていただけると思います。
 ただ、大学生の皆さんに合ったテーマにしようということで、そこ(資料1)に書いてあるような内容にしました。私の担当する3回の授業では、人間関係に基づいて、一般的な、特に皆さんの青年期の問題、青年の悩みとか人間関係というものをどういうふうにとらえていくか、また、どんなふうにしてその能力を高めていくのか、悩みとか様々な壁をどうやって乗り越えていくか、また、チャレンジしていくかということを、グループワークを通して皆さんに考えていただき、やる気になってもらうことができればと思っています。
 
4〜6回(西垣)「女性のライフサイクルとライフコース」
 2番目に出てこられる西垣悦代先生は、家族療法の専門家で、ICU(国際キリスト教大学)を卒業されて、アメリカで家族療法について学んでこられました。
 家族療法って聞いたことある?あんまりない?
 何か、ちょっと前に心療内科だれそれとかいうドラマをやってましたね、テレビで。あれは、完全にカウンセラーの仕事と言うか、お医者さんの専門の中に、ああいう分野もあるんですが、家族の中での人間関係上の問題を解決する、そのためのアドバイスとかカウンセリング、そういうものなんですが、その中の1つが家族療法なんです。
 西垣先生の研究テーマの1つが女性、特に女性のエリートについてで、長いことやっておられます。他に、医療問題、臓器移植とか生命倫理とか、そういうことについても、かなりお詳しいんですが、西垣先生には、女性、特に若い女性、お集まりの皆さんのように青年期にさしかかったか、今真っ只中だという、そういう方に、女性の生き方ですね、ライフコースというものをどういうふうにとらえていけばいいのか。どういう問題があって、それぞれの中で、どんなふうな対処の仕方をしていくのかということを、ご自身の研究を中心に話していただこうと思っております。また、グループセッションをいろいろやってもらうつもりですので、多分、いろんな演し物をもってくると思います。
 
7〜10回(ハフシ)「グループ・ダイナミックス」
 そのときの第7回から第10回のところに※が書いてあるんですが、これ、ちょっと説明を必要とするんで、よく聞いておいてくださいね。
 7回から10回とありますね。講義の回数は4回なんですが、皆さんに参加していただきたいのは、このうちの2回だけ、と言うか、1日分です。これ皆さん、ガイダンスにも書いておいたんですが、曜日がですね、木曜日の1限というふうにしてコマ取りしてあるんですが、ハフシ先生と、その次の溝上先生の、この2つは木曜日の3限と4限を使ってやります。いろいろな事情から、このように時間を設定させていただいたんですが、2コマ通しでやります。それを1回、1日分だけ受けていただければよろしい。もちろん興味あれば2回とも、2日とも受けてもいいです。
 ハフシ先生は、奈良大学、これは私の前任校だったんですが、そこでカウンセリングを教えられています。彼はフランス人ですが、日本語ぺらぺらです。日本語で授業をされると思うんですが...。彼はリヨン大学でカウンセリングの博士号をとっていらっしゃいます。メラニー・クラインという人の一派のカウンセラーです。
 彼はリヨン大学で博士号を取った後で、日本に留学生としてやって来て、大阪大学大学院人間科学研究科でグループ・ダイナミックスを学び、そこでも博士号をとられております。彼が阪大にいた頃、私はそこで助手をしておりました。別な講座の助手だったんですが、彼とはその頃からの付き合いです。
 現在、彼は、大阪のほうにカウンセリングのオフィスをもっており、そこでインターナショナル・カウンセリング、すなわち、日本に来て、いろいろな問題を抱えた外国人を対象としたカウンセリングをおやりになっているということです。
 ハフシ先生は、特に、グループ・カウンセリングというテクニックを、かなりよくやっておられます。私は1991年にペンシルバニア州立大学の夏期セミナーに行って、そこで、1か月ちょっとかな、グループ・カウンセリング技法を、集中的に勉強しました。カウンセリングには1対1の対面の、いわゆる面談とか相談ですね、そういうものと、もう1つ、グループで行うものがあるんです。
 グループというのは、クライアント(来談者)がグループ(小集団)を成して、もちろんインストラクターが入ったりするんですが、皆さん、知っていますか?テレビで見たことある?交流分析とか、ないかな?自己啓発セミナーの中で使っているテクニックにはグループ・カウンセリングが多いですね。
 彼が、どこまで、それを使うのかということについては、来てのお楽しみということになりますが、彼には、こう言ってお願いしています。グループ・カウンセリングの方法とか、彼がデモンストレーションに使っているグループ・ダイナミックス(グループ・セッション)を、短時間に実感できるようにして、学生に参加して体験してもらう、そういうデモンストレーションをやってください。それを通して、集団の中での自分の動きとか、集団の中での人間関係が、どういうふうに動いていくのかということをみんなに体験させる、考えさせるようなことをしてほしい。
 そう言ったら、「それは面白いですね、ぜひともやりましょう」と言って、楽しみにしておられました。彼は12月3日と17日、来てくれますが、そのときは2コマぶっ続けでやると。休み時間、入れるかもしれませんが、3限と4限、1時から大体4時ぐらいまでの3時間をですね、5時ぐらいまでやるかもしれない、本人がのってきたりしたら、3、4時間をぶっ通しで、休憩をちょっと入れてもいいんですが、ぶっ通しで、そのグループ・カウンセリングと言うか、グループ・セッションをやってもらおうと思っています。
 これは、結構「お値打ち」だと思います。カウンセリングの現場でやっているものを実体験できるいいチャンスですので、ぜひとも受けてほしいと思います。
 もちろん対象は大学生ということで、皆さんに合った演し物をもってくると思うんですが、プロのカウンセラーがどんなテクニックもっているか、また、皆さんに何を言いたいのかを、直接、聞かれてもいいですし、また、時間があれば、個人的にいろいろ話をされたらいいと思います。
 それが、7回から10回です。、12月3日と12月17日は、先に言いましたように、同じようなセッションを2回やる予定ですので、どっちかに参加していただければいいですが、どうしても、どっちも駄目だということだったら、それでも構わないと思っています。
 それは、皆さんの履修と関係があるんですね。皆さんは、教務掛で履修登録をきちっとやってほしいんですが、これは集中講義の扱いとなります。でも、木曜日1限は他の科目は埋めないで、この科目を書いてください。木曜の3限と4限はほかの科目を埋めて履修することは問題ありません。12月の3日と17日は、木曜の3限と4限にやりますが、同じく12月10日と1月14日も、木曜の3限と4限にやります。
 できたら、それぞれ、2回のうちの1回には参加してほしいと思います。2回とも参加しても構わないし、全然できなくても駄目だということにはしませんから、むしろ私が提供している催物だと思って、ぜひとも参加してほしいと思っています。これらの振り分けについてですが、できたら、同じぐらいの人数になればいいなと思っていますが、これぐらいの人数だと、担当の先生が「2回ともとってほしい」「参加できる人だけでもいいから全員でやりましょう」とおっしゃるかもしれません。また、そのときに状況に応じて決めていこうと思います。
 
11〜14回(溝上)「青年期の心理」
 溝上先生の紹介をします。溝上先生の専門は青年心理学です。彼は神戸大学の出身です。大阪大学大学院で教育心理学を専攻され、今、京大の助手をされております。彼は、青年の悩みとか、そういうものに対するさまざまなバックアップについて関心をもって、意欲的に研究されています。
 溝上先生に、「実験みたいなことを、学生が体験できるようなことをばんばんやってくれ」と言ったら、「それは、もう。自分もデータとりたいし、参加した学生が実体験しながら学びとれるような、そういうセッションを考えたい」と言ってましたんで、これも楽しみにしてほしいと思います。
 
15回(田中)「まとめ」
 最終回の15回は1月21日という予定になっておりまして、京都大学の田中先生にお願いしてあります。田中先生は教育哲学の先生で、今、京大で「ライフサイクルと教育」という授業をされております。
 「生涯学習」という言葉は知っていますね。生涯学習は発達(生涯発達)ということに関係があるんですが、発達は受精してから死ぬまで、その長いスパンの中での様々な変化のことであり、時間的な経過に伴う様々な構造上の変化や、その現れをすべて発達としてとらえようという見方があるんです。それをバックアップするのが生涯学習だと。生涯教育というよりむしろ生涯学習なんだと。つまり、子どもや学生を親や教師や周りの人たちが教育をするとかいうふうに見ないで、主体的に自己発達させていくという、そういうふうな考え方でとらえると生涯学習という考え方になるんです。
 田中先生には締めくくりとして、成人教育と生涯学習、つまり皆さんが、今いる大学で、そして、卒業後に自己を伸ばすためにはどうやっていくか、社会は、それに対してどうなっていかなきゃならないのかというのを、哲学じみたものも含めて話していただいたり、セッションをやっていただこうと思っております。
 
授業のねらいと進め方
 改めて、もう1回、授業のねらいを説明させていただきます。この授業では、新しい知識や概念を皆さんに学んでいただくということよりも、自分を見つめて、「自己と他者」というテーマ、自分と今いる自分の周りの人々との人間関係、また、社会、文化、集団とか国家とか、いろいろなものを含めた、自己と周囲との関係というものをとらえなおして、今、自分がどこにいるかという、自分の位置づけですね、少しあいまいと言うか抽象的な話ですが、自分の位置というものをきちっと、まず、つかんでほしい。意識してほしい。そこから、次に、自分は、どういう課題をもって成長していくかという課題を見つけてほしい。それに取り組むようなやる気になってほしいし、また、周りの人たちとのインタラクションの中で、お互いに、そういうことをやっていくことが言えるかなと。そういうふうな認識に立って、明日からと言うか、この授業が終わってからも、さらに自己成長ができていくというふうになったらいいなと思っております。
 今、申し上げました、私もそうですが、ほかの先生方も、ほとんどセミナーとか教育の現場で、いろんなところで講演をしたり研修を長年されている実践家の先生方で、そういう先生方が、講義ではなくグループワークや個人作業を通して、皆さん自身に、「自己と他者」、個人と社会のかかわり合いを考えていただくというのがテーマになります。
 ここで、この授業の進め方と評価の方法について説明しておきます。原則としては5名を1班としたグループ編成にして、メンバーどうしでディスカッションをしたり、いろんな作業をしていただこうと思っております。
 最初に言いましたが、評価については積極的に参加すれば単位が与えられると思って安心してほしい。それは大丈夫です。成績についての考え方ですが、皆さんが、どれだけ学んだか気づきを得たかが評価基準だと言うことです。皆さんが各自で一生懸命やって、それなりの結果が出れば、僕はそれでいいと思います。
 ただ、ここでは他者評価もやりたいので、相互にグループ同士で、どれだけ積極的に、このセッションと言うかセミナー、この授業に参加したかとお互いに評価し合おうと思っております。
 相対評価ではなくて絶対評価で、みんなが自分なりに頑張れた、あなたも頑張った、あなたもOK、私もOK、"You are OK, I am OK."の状態だったら、みんなOKとしたいと思っていますので、そういう授業になるようにぜひとも積極的に参加してほしい。
 全部参加しなくてもいいですが、なるべく参加してください。一部参加しなくても、理由があれば構わない。ただ、ドロップアウトするときは、少し理由を聞かせてほしいと思います。
 ここまでで大体、授業の説明、終わりなんですが、質問・意見ありませんか?
 
○学生 「1月14日は、学校休みなんですけれども。」
○米谷 「(資料を見ながら)これ間違って書いてるのかな?日取りについては、教務に確認して、来週お知らせします。私は毎回ここに顔出しますから、何か変更があれば授業中に申し上げますし、掲示でもお知らせします。」
 
2.「人間関係入門」第1回
 
 それではいいですか。今日の授業の終わりに、セミナーらしいことをちょっとやってみることにしましょう。今日はイントロダクションとして、皆さんにお渡ししたものを元に簡単なウォーミングアップをしていきたいと思います。
 早速、人間関係入門の授業の内容に入っていきたいと思うんですが、よろしいですか?問題ない?
 今日を含めて3回の授業は「人間関係入門」ですが、とにかく予習、復習は要らない。レポートも課題も作業は全部この授業の中でやって、それを毎回、逐次、出してほしいと思っています。
 提出用のシートを毎回1枚用意しといてください。それは、僕が読ませてもらいますが、必ず返します。提出物はすべて読ませてもらいますが、個人的にコメントを書いて返すわけじゃなくて、そのポイントについては、皆さんのものをまとめて、全員の前の課題とか感想は、こうだったよというのを書いたものを、また、皆さんにお返ししていきたいと思っています。
 では、早速いきます。(資料2を見ながら)
 「人間関係入門」でやりことが今から読む資料に入っています。皆さんの手元にある資料を見て下さい。この縦書の「自己のイメージ」というところから始めます。
 これ読んだ人いる?これは、皆さんの先輩でもある人見一彦先生の本なんですけど、『女性の成長と心の悩み』という本です。人見先生は大阪医科大学を出てから神戸大学大学院で勉強されています。この先生が、神戸女学院で授業をされていたときに、学生に作文を書かせたんですね。その作文をもとに、18歳とか20歳とか、青年期にさしかかっている女の子の悩みについて、カウンセラーというか精神科医の立場からまとめ直しておられます。人間関係論としていい教科書となっていると思うんですね。
 この本は創元社から出ています。最近も本屋で見たりしますからまだあるでしょう。よかったら買って読んでください。特に、女性は一度読むといい。これはなかなか心に染みるいい本の1つかなと思ってます。
 出版はちょっと古いですけどね。でも、内容は普遍的な内容です。自己のイメージというところを読んでみます。
 「自己の成長を遂げるということ、すなわち大人になるということは、1、自分をよく知り、2、自分と他人との関係を通じて、3、他人をよく知ることである。この対人関係の繰り返しの中で人間は成長していく。自分をよく知ることが自己の成長の出発点になる。」
 ここまでで充分です。これが、今回の「人間関係入門」で僕がやりたいテーマそのものずばりです。
 もう1回繰り返すと、まず、自己をよく知る。自分は何か。自分はだれか。自分をよく知るということですね。2つ目が他者とかかわり合う。自己と他者との関係を通じて、実際に他者とのかかわり合いをする。プラクティスですね。3つ目は、そこから、相手が見えてくるわけです。他者が見えてくる。かかわり合いがなかったら相手が見えてきません。かかわり合いの中から相手が見えて、さらに相手を見る自分が見えてくるんです。
 (「人間関係→自己成長=人間形成」と板書をしながら)これは、繰り返しになっていくんですが、結局、人間関係が自己成長となる。自己成長というのは人間形成ですね。成長は発達と言ってもいいんです。成長と発達は細かく言うと分かれるんですが、広い意味の発達という言葉にはなろうかと思います。
 自己成長は人間関係、もしくは対人関係の関係の中で生じるものである。だから、人間として成長していくこと、すなわち、人間形成と人間関係は表裏一体であります。人間ができてないと人間関係はできないし、対人関係の中で人は成長していくわけです。こういうふうにとらえるのが人間関係論の1つの考え方です。
 これは完全に講義スタイルですね。でも、もうちょっと続けますね。この後、皆さんに作文をしていただきたいんですが、もう少しウォーミングアップしてから作文をやっていただきます。
 もう少し私、読みましょうか。そのあと皆さんに回していきましょうか。もうちょっと読んでいきます。
 「自分は何者であり私とは何かを知ることは、余りにも身近なテーマであるだけに、かえって難しい。」
 私とは何か。心理学で「私とは何か」となれば自己イメージ、もしくは自己像ですね。自己イメージという言葉、これは、大変難しい。それは2つあって、ここに書いてありますが、1つは自己の理想像、理想としての自己像です。もう1つは、現実的な、今、自分が、どう感じるかという現実像、現実の自己像です。この2つとも自己イメージです。それが「私とは何か」になるわけです。
 自我というか、認識されている自我もしくは私、これを問題としたい。まず最初、ここから始めたいんです。「私とは何か」ということを自分は、どう考え、感じ、思っているかという問題を扱うんです。皆さんにこれから何をしていただくかが見えてきたと思います。
(女子学生に資料の「私とは何か」の部分を朗読させる。)
 ありがとうございました。私が皆さんに何を書いていただきたいと思っているか、だんだん見えてきたと思います。次の説明を読んでみます。
 「現実生活の中で、私は、様々なものを身にまとい他人の前にあらわれる。身につけたものによって人間が評価されることも確かであり、だから、人間はきれいに身繕いをしようとする。体のプロポーションもスマートであるにこしたことはない、特に女性の場合は。
 しかし、いくら外見が整っても、それで私のイメージ、自己のイメージが決められてはかなわない。私のイメージは、外見だけではないはずである。」
 これは、人見先生の考えです。皆さんも、そう思いたい部分もあるでしょう。よく言う、「顔じゃないよ、心だよ」というやつですね。これもあると思うんですが、しかしながらですね、その次、読みます。
 「このことを自信をもって他人の前で主張できれば、...自己のイメージは確立し、大人になったと言える。」
 これは、今言った、外見だけで自分のイメージが決められてはかなわないというふうに思いだすとね、自分のイメージというのは、外見とはまた別なものだというふうに、しっかり感じられる、考えられる。そうなるっていうことは、大人になったと言えるんだというんですね。
 ところが、思春期から青年期にかけては、そうはいかないんだと。
 「例えば、友達から見られる自分、他人から見られる自分のイメージがある。みんなからどういうふうに見られているか。女の子なら少しでも美しく見られたい、男の子なら少しでもかっこよく見られたいと思い、そうではない自分に悩む。また、勉強の成績や運動の能力についても、みんなと比べて自分が劣っているとか、人よりよくするにはどうしたらいいかと、こういうことに悩む。」
 皆さんはもうクリアーされたと思うんですが、大体、大学に入って半年ぐらい経った学生が、ふと、自分は、もうちょっと成績がよかったら、もっといい大学に行けたのにというふうに悩み始めるんですね。あと、成績がよくて第一志望の大学に入ったにもかかわらず、俺は、何で、こんな学校に来たんだろうか、ときに、ふっと何で医学部にいかなかったんだろうと思いだして、もう一度受験勉強をやったほうがいいかななんて思うやつも出てくる。
 いろいろあるんですが、それもやはり、人から見られて、自分が今どういう状況なのかという、こういうことをすごく意識した1つの結果である可能性もあるんですね。そういうことの話を続けていきます。もう少し読みます。
 「思春期から青年期にかけての悩みは、自己のイメージを中心に展開する。自分のイメージについて探究すると、よい面ととともに、悪い面も心に浮かんでくる。他人の前ではかっこよく取り繕っていても、1人きりになると、自分を欺くことはできない。」
 劣等感。ここには二重線。1つのキーワードは、やっぱり「コンプレックス」ですね。劣等感という言葉をつくったのはユングですね。インフェリオリティー・コンプレックス。人に劣っている、劣ってはしないかと思う。そういうふうな心理。それは複雑なものだから「コンプレックス」という言葉になるんですが、その心理状態を、それをインフェリオリティー・コンプレックス。これは劣等感という言葉に訳されているんですが、劣等感についての講釈はおいといて、とにかく劣等感というものが頭をもたげてくる。
 「他人を意識して、人の前で見せる自分のイメージと、1人きりになったときに浮かぶ自分のイメージとの間に矛盾が生じる。」
 ここですね。つまり、人前での自分と本当の自分、見せかけの自分と「地」というか本当の自分。これは難しい。本音と建前とか、いろんな議論があるんですが、ここから、このギャップから悩みが生まれる。ギャップ自体が悩みとなる。これは、まさに自己のイメージの二面性であると。こういうふうにとらえているんですが、次、読んでください。
(学生に資料の残りの部分、特に、学生の作文を朗読させる。間で、説明を加える。)
 時間がいいところになりましたので、ここまでにしておきます。これらはあくまで、ある女子大生が書いた文章ですから、参考にして、引きずられる必要はありません。
 
個人作業 −作文「私とは何か」
 今、皆さんに、ここでやっていただきたいのは、まずは、「私とは何か」ということについての作文です。とりあえず15分ぐらいで書いてください。もっとゆっくり時間をあげたいと思うんですが。
 まず、自分という概念を自分はどうとらえているか、私たちは自分をどうとらえているか、また、理想と現実のギャップとについて、今、思っているところを素直に書いてください。時間があれば、悩みについて書いていただいてもかまいません。それはいい参考になりますから書いてほしい。
 来週、グループセッションをしますが、その前に私が、皆さんに書いていただいた文書を私が読んで、それなりに、いろいろコメントをつけて、匿名で、こういう人もいた、こういう人もいたというのを並べて、皆さんに授業の最初にフィードバックをして、そこから来週の授業はスタートしたいと思うんですが。
 作文と一緒に、今日の授業の感想や、これからの授業に対するリクエストなどについても書いて出してほしいと思います。
(学生に作文と授業の感想を書かせ、提出させて授業終了)
講義録(平成10年10月29日)
 
第2回 人間関係入門(2)
 
                             米谷 淳(神戸大学・大学教育研究センター)
 
1.導入
 
 おはようございます。今日は第2回ということになります。前回も申し上げましたように、いろいろセッティングしたりしますので、大体このぐらいの時間からは絶対始めたいと思います。9時10分ぐらいには集まっておいてください。
 今日は、前回に引き続いて、自己分析を少しやって、できたら、そのときに客観的な自己診断のようなものをやっていただいて、なお時間があれば、少しグループワークに入っていきたいと思うんですが、前回、お配りした、この資料を持っていない人いますか。
 この授業の趣旨について、前回お話しましたので、ごくごくかいつまんで申し上げたいと思います。(本日が初めての学生が数名いる。)
 皆さんは大学の2年生?3年生ですか?
(新しく加わったメンバーのほとんど全員が首を横に振る)
 それじゃ、皆さん1年生?でも、半年ぐらい大学の中で生活をして、少し慣れてきたと思うんですが。いろんな授業を受けられたと思うんですね。
 私は来週もう1回ここで授業をして、その次からが本番という形で、いろんな大学の先生方にここに来ていただいて、グループワークを中心に自己と他者ということについて、皆さんの考えを深めていただく。感じたり気づいたり、気づきや学びというのを大事にしながら、グループワークを行っていく。そういう授業をしようと思っております。
 ですから、日頃の皆さんが受けられているような多人数の授業とは、一味も二味も違ったようなものになると、そうしたいと思っています。そんなふうな授業をやってみようということです。
 ねらいは何か。皆さんに自分を考えていただく。もう1つは、自分と他人との関係をとらえ直してもらって、突き詰めて、今日も問題にしますが、自分のパーソナリティーですね、今の自分はどういう位置にあるか、さらに、そういう自分を、これから、どういうふうに成長させていくべきかという、その発達課題のようなもの、あまり堅苦しく考える必要はないんですが、今、どういう悩みをもってて、その悩みに、どんなふうに挑戦していくべきかということを考えていただく。チャレンジ意識をもっていただければそれでいいと思うんですが、そういうことをねらいとして、この授業を組んでおります。
 前回参加された方には、「私」というテーマで作文していただきました。全部読んだんですが、そのままコピーして皆さんにお配りすると個人がかなり特定されてしまう問題があり、まずいかなと思いましたので、作文のコピーは配りません。
 この授業では、まず、前回の授業感想を読み、それにコメントします。そのあと、前回、皆さんに書いていただいた「私」の作文の中から、これはと思うものをいくつか読みあげ、皆さんにそれについて考えていただきます。私もコメントをします。それから今日の本題に入っていこうと思います。
 では、ちょっと、この前の授業を受けなかった方が4名ほどいらっしゃいますので、簡単に、このシート(授業概要、前回の配布資料)でおさらいします。前回できなかったことも含めて解説し、それから、前回、書いていただいたものへのコメントという順に進めたいと思います。
 
2.前回の復習と補足
 
人間関係論
 (資料を見ながら)では、どっちが表かというと、縦になっているほうですね。「自己のイメージ」と書いてある方を表として、1ページ目の一番下の「自己のイメージ」というところから、もう1回、さわりの部分だけをお話ししていきます。
 この出典は『女性の成長と心の悩み』(人見一彦 著、創元社)という本なんですが、その一番最初に人間関係論の考え方が書かれてあります。これは授業を通じて皆さんに考えていただきたいと思っているんで、これを何回も繰り返し読みたいくらいです。
 「自己の成長を遂げること。すなわち大人になるということは、自分をよく知り、自分と他人との関係を通じて他人を、よく知ることである。この対人関係の繰り返しの中で、人間は成長していく。」
 まず、自分をよく知ることが自己の成長の出発点になる。自分は何者であり、私とは何かを知ることは、あまりにも身近なテーマであるだけに、かえって難しい。私とは何かということ、すなわち自己のイメージを思い浮かべてみようということで、前回、私について作文をしていただきました。
 ポイントだけを申し上げる。自己成長。これは、自我の発達と考えてもいいし、自分の人間が一人前に成長していく、大人になっていくということ。「社会化だ」と言う人もいます。ここでのポイントは3つ。1つは、まず自分をよく知ること。
 2つ目は、自己と他者、自分と他人との関係、かかわり合いを通じて大人になっていくこと。まず、かかわり合うことが大事ですね。ただ自分のことばっかり考えていても仕方がありません。他者との触れ合い、かかかわり合い、コミュニケーション、対人コミュニケーション、人と人とのコミュニケーション、対人相互作用、インタラクション。これをしなきゃならない。だから、この授業でもグループワークをやるわけです。
 そこから何がわかるのか。まずは他者がわかる。自分に向かっている、自分を見ていてくれる、また、自分が話かけている相手ですね。他者がわかるんですね。他者がとらえられ、また、それを通して、他者とかかわり合っている自分が見えてくる。こういう繰り返しになっていく。その繰り返しの中から自分が見え、さらに他者が見えてくる。自分を理解し、他者を理解する。そういう行為が、まさにかかわり合いだと思うんですが、かかわり合いは自己成長につながる。かかわり合いの中で自己が成長していく。
 もちろん他者も、相手からすれば、今度は「他者」が自己になっていくわけですから、相手も成長していくという意味で、ポイントは相互成長。自己成長という1人だけのものじゃなく、むしろお互いが相互に成長していくんだと。この相互成長というものが、人と人とのかかわり合い、これを対人相互作用と言いますが、これを土台に図られていく、進んでいくたんどいうふうに考える、これが人間関係ということだと思うんです。私が担当する授業では皆さんにこういった考え方を深めていただきたいと思っています。
 
青年期
 こうしたことが一番問題となるのはいつ頃でしょう。これについては次の所に書いてあります。
 「...思春期から青年期にかけての悩みは、自己のイメージを中心に展開する。」
 他でもない皆さん、青年期に差しかかった、あるいはその真っ只中にいる皆さんにとって、アイデンティティーの問題(これはエリクソンの用語であり、これについては次回説明します)、自分とは何かということは悩みの1つというか、大きな問題となっています。そうではないと言う人もいるかもしれない。しかし、大学の学生相談室等でカウンセラーが相手にしている対象が、大体、そうした青春期の悩みをかかえる学生なのです。私とは何か。自分の人生をどう生きるべきか。そういうことを悩む。こうした悩みには深い悩みから浅い悩みまでいろいろあります。が、まずは、人から見られる自分と自分の現実、このギャップ、これをどういうふうに自分の中で折り合いをつけていくかということだと思うんですね。
 自己像、自分のイメージの問題のひとつは、他者からどう見られるか、人にどう見られたいかという問題です。もうひとつは、現実的に、自分は今どういう者か。自分の本当の現実の姿を知りたい。そして、そこからいろいろ葛藤が生じるわけです。これについては、あとで事例を見たいと思います。
 今日は、前回できなかったところを読みたいと思います。次のページ、裏のページですが、横長になっています。これを少し読み進めて、簡単なまとめをしてから、今日の内容に入りたいと思います。
 
客観的な自己評価
 「人間は生まれた瞬間より、母子関係、父子関係をはじめとする対人関係の絡み合いの中で、強い共感性に支えられて自己のイメージを確立していく。この自己のイメージの確立に至る道筋は決して平坦なものではない。自分のありのままを認めることは嫌なことで...」
 自分をちゃんと見る。等身大の自分、嘘・偽りのない自分。まずいこともあるし、いいとこもあるし、人並みのところもあれば、人からはずれたところ、変わったところもある。不満もあるし、プライドに思っているところもあるかもしれない。そういうものを全部ひっくるめた等身大の自分。虚像ではない、正立のちゃんとした自分のイメージ。ピントを合わせてはっきり見えている自分を認める、とらえる、受け入れる、受容することが大切です。でも、それは必ずしも楽しいことではない。だから、自己を誇張し美化しようとする。
 しかし、自己が成長するためには、この試練を乗り越えなくてはならない。この努力なくして、自分について客観的にみることはできない。客観的評価、自分が、まず自分に対して客観的な評価を得ることが大切なんです。もちろん、客観的ということは正しいということとは同じではありません。客観的に見たからといって、ペーパーテストのようにひとつしかない正しい答えが見つかるというわけではありません。これについてはいろんな議論があるんでしょうけど、客観的に見るといっても、様々な見方ができるはずです。1つの見方で正しい自己とかかわり合うことはできません。
 「他人による自己への、自分への評価を、素直に受け入れるためには勇気が要る。自分に都合のよいことだけを受け入れ、都合の悪いものを無視できれば楽である。これでは、いつまで経っても自己の成長はない。自分の他人との相互関係の中で、自己のイメージは鍛えられていく。
 特に、赤ちゃん、子供、そういうところが考えれば、母子関係、父子関係、兄弟関係、友達関係、そして、それ以外の他人との他者との関係の中へ自己を投げ入れ、対人的緊張関係とか葛藤とか言いますが、そんな中で鍛えられていく中で、自己のイメージは確かなものとなり、本当の私が誕生するのである。」
 
共感能力
 その次にいくつかポイントが書かれてあります。これは、もうかいつまんで申し上げるだけにします。自己のイメージをしっかりつくり上げていくための要素を人見先生は3つにまとめているんですが、まず、一番大切なものは、共感できる能力であるということは言うまでもない。共感だと言うんですね。英語でシンパシー(  sympathy)とかエンパシー(empathy)とか言いますが、エンパシーの方がよい。これは何か。他者理解ですね。人の気持ちを頭できちっととらえてあげる。共感には感じるということも大事ですが、それをきちっと表現できないといけない。
 また、共感は、その人と同じ気持ちになって流されたり同情したりすることではありません。哀れむ、見下しながら可哀想に思う、そういう気持ちをもつことではない。その人の状況を正しく理解してやる、認識してやるということが大事なんだ。それを共感と言う。こういう説明がありますが、私も、共感と同情は別なものと考えています。
 
コトバによる自己表現
 「自己が成長するためには自己愛(ナルシシズム)の殻にこもってはならない。自己愛の殻を破って、自己を大きく成長させていかねばならない。他人との相互関係の中で、自己の成長は鍛えられていく。子供から大人に成長するには共感を基盤にして、様々な能力が要求される共感にプラスアルファーされる。」
 プラスアルファーの1つ目が次に書いてありますが、「自己のイメージをはっきりもつことは現行能力の発達と密接に結びついている。」自己のことを心の中に思い浮かべ、その次に線を引く。それを言葉ではっきり、他者にということです。自分にもそうですが、言葉ではっきりと他者に表現することができて、初めてイメージの伝達が可能になるし、また、自分でも、きちんと自分をとらえてあげたということになるんだと。
 コトバ、すなわち言語。つまり、定められた文法と語彙(ボキャブラリー)がある言語によって、きちんと自分を表現でき、相手にわかってもらえることができて、初めて自分がとらえられたといえる。こういう意味で、自己表現、すなわち、言葉できちんと自分を表現するというのは大事なことですね。
 
客観視・観察自我
 「自己のイメージを無理なく認めるためには、自分自身について、できるだけ客観的に認めることが、眺めることができなければならない。客観視というのは、そのあとで出てきますが、自分のことは自分が一番よく知っていると思い込んでいるだけに、この作業は難しい。人間は子供のころから自己愛的傾向をもっているから、いくら自分を客観的に見ようとしても、自己中心的になる。」
 自己中心と自己愛というのは、よく同じように使われるんですが、ちょっと違うんですね。自己中心とは、自分にとって気持ちのいい、心地よい、快い、そういうものだけを受け入れる、自分のイメージと言うか自分の事柄に関して、いいことだけ受け入れたいものだけを受け入れて、嫌なことからは目を逸らす、目をつぶる、受け入れない、知らなかったことにする、そういうふうな傾向のことです。
 「自分をできるだけ中立的、客観的にながめられるようになることが、自己の成長に求められる。自分を客観的にながめる、この働きを観察自我と言う。」
 観察自我ということの具体的な問題ですが、自分の長所と短所をきちっとつかまえることができる、人から、いろいろ欠点を指摘され短所を指摘されても、むかつかないと言うか、ある程度、それを素直に認めることができる。それには自分で自分をちゃんととらえられているかどうかが決め手となる。
 もしも、それが不当なものであれば、当然、抗議をしたり、相手の誤解を解いたりする必要があります。そういうアピールも大事ですが、問題は、まずは、正しく自分をとらえることです。
 
3.前回の授業の感想文から
 
 前回のおさらいはこのくらいにして、次に前回の授業の感想、及び、私についての作文をいくつか読みながらコメントをしていきたいと思います。
 
感想文(1)
 「この授業は、自分が、どんな人間なのか、将来、何をするのかという点と、カウンセリングとはどんなものなのかという点について考えるきっかけにしたいと思います。講師の先生と個人的にお話をするなど積極的に参加したいと思います。」
 この人には、授業のねらいをそのままわかっていただいたかなと思います。私は、結構ばたばたして、あちこち移動しております。昨日も一昨日も、ある病院、2つ別な病院ですが、そこで看護婦さん相手にリーダーシップ研修をやってきたんですが、そこでも今日のような、今からやるようなグループワークをやっております。そういう話も授業の中では時間がないと思うんで、チャンスがあればアポイントをとって私の研究室に来られた時にお話できたらいいなと思っております。
 
感想文(2)
 「授業のテーマを聞いて、グループワークなどの作業ができるなど興味深いものだった。
 グループワークはこれからですが、テーマが今の自分にとって難しすぎる気も。難しいかな、こういう自分のことって。難しいと言うか、ちょっとやりにくそうな感じがする。今のところ、話を聞くだけだから。」
 今のところ私が一方的にしゃべってばかりですね。でも、このペースのままでいくわけではありません。この人のように思っている人は、これからグループワークになったらちょっと躊躇するかもしれない。
 「でも、今日触れたことはかなり同調する部分が多かったので、これからの授業を通じて、自己と他者について考えていきたい。ありがとう。」
 
感想文(3)
「面白そうな授業だと思う。最近、自分とかということについて考えていなかったので、書くことに困った。
 私という作文をしたんですが、最近、個人の中に自分1人という状況が嫌いになっている。自分のやったことを振り返って、これからのことを思ったり自然にしてしまうから。町を1人で歩いているときは考えないけど、電気を消して眠る前は、そんなことを考えて疲れる。」
 多分、この人も典型的な青年前期の状況になりつつあるんだなと思うんですね。
 私はもう皆さんの倍ぐらいの年、ちょっと上かな、もう倍以上になっている可能性があるんですが、そうなってくると、もう自分なんかどうでもよくなると言うか、自分を考えたり、自分のことも考えたいんですが、それより仕事のことが気になる、家庭のことが気になる、仕事と家庭とやると、大体ほかに考えることがなくなると言うか、そればっかりに追われていく。そういう時期になっています。
 逆に、それは僕にとってはいいことかな。大人になるというのは、一言で言えば、自分のことなんか気にせず、人のために一生懸命働くということだと思うんです。そうなれることが大人になることだと乱暴な定義をしているんですけど、そういうふうに考えたならば、例えば、女性が家庭に入って母親として子供を育てたり、妻として夫や家族の世話をしたりするのも1つの生き方だし、会社に入ってサラリーマンとなったり公務員とか先生とか、いろいろな仕事に就かれる方が出てくると思うんですが、それなりに人のためになっている。サービスをしてお金をもらうんですから、どんな商売も、商売と言うか職業でも、だれかのために何かをして、それが価値があると認められたから、お金が入ってくるわけです。そういう意味では、だれかのために何かをしているわけです。そういうことをこれからやっていく。
 その前の時期、もう古いんですが、20数年前を私をふりかえると、多分、もうごろごろ家に寝っ転がって、でも、大学には真面目に来てたんですけどね。僕は大阪大学におったんですが、大学に入学して3か月経った頃、バリケードストライキというのがあって授業ができなくなりました。そして、学生集会なんかに出させられました。それでつまんなくなったんで、もう大学行くのやめて、バリケードばっかりですから、しょうがないから、下宿で本読んだり、あとはバイトです。
 バイトで塾の先生してました。塾にもう朝から晩まで入り浸っていました。自分の受け持つのは週に2コマだけでした。数学を教えてたんですが、それ以外はもうとにかく、他の先生の授業を見たり、あとは、暇だから、朝から行って、先輩の先生の手伝いをしながら、塾ってどんなもんかというのを全部見てやろうとしていました。
 そしたら、結構面白かったです。その塾では小学校の2年生から中学校の3年生まで教えてて、いろいろな場所にいろんな教室があるし、そこでの先生方の教え方とか、生徒のいろんな状況を見て...。大学の1年、2年、3年の3年間やりまして、大学4年のとき、ちょっと卒論の方が忙しくなって、結局、やめちゃったんですけど、大学時代は塾ばっかりやってたっていう感じで、そのときに何を考えていたかというと、自分というのは何だろうなということでした。もうぼーっと。そればっかりでしたね。
 次、いきましょうか。
 
感想(4)
 「今まで、私とは何かについて深く考えたことはなかった。それが答えの出せない原因だと思う。でも、自分自身を見つめることはすごく大事なことだと思うので、これからの授業がすごく楽しみです。その中で、もっと深く自分を考えられればいいなと思います。」
 あとでちょっと、これについてみんなでグループごとに簡単にワイワイガヤガヤやってみますかね。もう少し話を進めていきます。
 この方は、社会人でしょうね。
 
感想(5)
 「就職していたころ、企業で自己啓発セミナーなどに参加したこともある。今回、このテーマを聞いて、自分では何かと問うと、明確に言葉で表現するのは難しいと思う。それは、自分をよく知らないということなのかもしれないと思い、授業に参加したいと希望します。興味深い講義なので、ぜひ参加したいな。欠席することもあるので。」
 欠席について一言申し上げますと、欠席したから駄目だという授業ではないので、出てきた授業だけは一生懸命聞いて、それなりに何か感じたことを、その授業の中でまとめて文書にして帰る、そういうふうなものがあれば、ほかは、もう場合によっては、1回や2回だけしか出なくても、僕は、それでも何か得るものがあったらそれでいい、そういうふうな授業にしたいと思っています。ただ、できれば最後まで付き合ってください。
 
感想(6)
 「まだよくわかりません。ただ、自分のことと言うか授業の感想についてですが、ただ、自分を振り返り他者との関係を見直すことは、普段からよくやっているので、この講義では、それ以上のものというより、よりクリアーで自分自身、納得のいく認識を得ることができればと思っています。」
 
 感想を全部読む時間はないようです。他に、いくつか私に対する配慮がありました。僕は大学の授業らしい授業じゃない形、皆さんと対話したり、グループごとに何かをやったりして、作業中心にやりましょうと言ったんですが、今もずっと講義のような形でやっております。「やっぱり講義になっちゃったなあ」と前回呟いたら、「講義になってしまうことを余り心配しなくてもよいと思うんですが」と書いて来られた方がいらっしゃいました。どうもありがとうございます。その他は、この授業への期待がほとんどで、私がこの前言った授業の趣旨をよく理解していただいて、好意的にとらえていただいているなと思って、大変感謝しております。
 では、早速、今日の本題に入りたいと思います。
4.「私」の誕生日
 まず皆さんにちょっと作業をしていただこうと思います。その作業のあとで、グループワークをしていただくつもりです。時間があれば、グループ毎に前回書いた「私」の作文の読み合いをやりたいと思いますが、駄目だったら来週します。
 では、早速、個人作業をしましょう。ノートかメモ用紙を用意して下さい。書く前に思い出すという仕事が必要なんですが、レトロスペクティブ、回想です。あなたの誕生日はいつでしょう。誕生日ってわかる?自分はいつ生まれたかということです。誕生日って、「私は19○○年○月○日です」とか言えちゃうんですが、そういう誕生日のことではありません。ちょっと私の説明を聞いてから作業をしてください。
 これは1991年のことですから、7年前かな。これは、ペンシルバニア州立大学のセミナーで私が習ったテクニックの1つですが、そこでは病院でカウンセラーをしているカイムという先生について、夏期セミナーでグループ・カウンセリングの理論と技法を学びました。その授業は、毎週3回あって、それぞれが180分、つまり90分の授業が毎回2コマあり、それをぶっ続けで3時間通してやるんですが、前半の90分弱は講義をやって、そのあとはカウンセリングの実習をやるんです。毎日ひとつの技法について講義と実習をしました。
 精神分析的グループ・カウンセリングの授業でやったんですが、自分を思い出していく、ずっと思い出して、さかのぼれるだけさかのぼるという個人作業をさせられました。一番幼いときの自分のイメージです。無理なもの、ぼんやりしてわかんないのはおいといて、ここまではいけるなというところまでさかのぼるわけです。
 そして、たった今、どこまでさかのぼれるかを問題とします。これは怪しげなやつとは違いますよ。何か、母親の子宮の中にいた頃まで思い出せるかということではなく、今知りたいのは、自分がいつ誕生したか、自分が今はっきり鮮明に思い出せる記憶の中で、一番昔というか小さい、幼いときのイメージはいつのものでどういうものかということです。
 
 もうちょっと前も思い出せるかもしれないけど、それがはっきりしないといけません。もう、はっきりしたものだけでいい。これを思い出せるとか。1つ、何でもいいです。1つ。これ、自己分析でやるんですが、「では、いつですか、それは、いつのころ、何歳のころとか昭和何年とかね、19○○年○月○日まで思い出せるんだったら思い出して、それでなくても、春、夏、秋、冬とか、何月ごろとか、そういう月日が、ある程度はっきりすれば、それを書き出す。次に、どんな場面か、場所はどこか。人に言わなくてもいいです。これは、人に言うような作業ではないので。自分で、とりあえず、どんどんどんどん書いてみてください。いつごろの自分を思い出せるのかな?今ですよ。それは、いつの自分で、どういう場所、どんな状況のときだったか。
 
場所
 まず、環境を思い出してください。どんな場所で、何時ごろか。暑かったのか寒かったのか。または、そういうことを感じない、そういう時期なのか。そういうことが全く感じられなかったら、それはそれでいい。だからって、それじゃ駄目だから、もう少し、その手前って言うか、今に近い思い出を思い出そうと思わなくっていい。
 
登場人物
 そのとき、自分以外に登場人物としてだれが出てきますか?自分以外の登場人物。私だけという場合もありますね。あと、だれかがいた?そこには、だれがいた?誘導しているわけじゃないですが、例えば、お母さんがいたり、保母さんがいたり、幼稚園の先生がいたかもしれないし、お父さんがいたり、おじさんやおばさんや、おじいちゃんやおばあちゃんがいたかもしれないし、あとは隣の家のミヨちゃん、ケイコちゃん、そういう近所の友達がいたかもしれない。あとは知らない人がいたかもしれない。いろいろあるんですが、だれが一緒にいましたか?
 
心境
 書く時間はあとでさし上げますから、ちょっと考えといて下さい。では、そのときの、あなたの気持ち、そのときに、どんな気持ちだったというふうに、覚えてないんだったら、今、それを思い出したときに、多分そのとき私は、こんな気分だったんだろうというふうに思えるんだったら、それでもいいんです。考えてもいいし、「あ、私は、そのとき、こんなんだった」という、それがあれば、それをぱっと書いてほしいんです。どんな気持ちだったか。
 
原因・理由
 あともう少しです。これがこの作業の核心になります。その気持ちを引き起こした原因、なぜそんな気持ちになったのか、を考えてください。自分は何でその時そうだったんだろうということを、今、解釈してもいいし、そのときの理由がはっきり思い出せれば、それを書いてもいい。
 さらに、今、そのことを思い出すと、どういう気持ちになりますか。また、なぜ、そのことが記憶に残っているんでしょうか。これらについて、思いつくことを書き出してください。
 しばらく黙ってますんで、自分なりに書いてみてください。あんまりしんどかったら途中でやめてください。無理に続けても意味がないので、途中でしんどくなったら、もう、あとぼーっとしといていただいて結構です。
(5分程度経過。この間、担当者は教室内を巡回したり、窓際に立って外を見たりした。)
 あと1分ぐらいで次の作業に入ります。
(1分経過)
 ちょっと手を止めてください。まだ書けそうなときは余白をあけておいてください。授業の最後に書き足す時間をさしあげます。ここで、今やっていただいた自己分析の作業について説明しておきます。
 
 これは、あくまで皆さんが自分で、いろいろ考えたりする授業ですから、いろんなとこをぶらぶらしているんですが、あと少し出たり、そういうのは皆さん、よその教室へ行くと怒られるかもしれませんが、授業中だからといって(緊張することはなく)、リラックスして受けていただいたらいいんです。もう少し進めます。
 
4.自己分析のねらい
 
 もうちょっと作業を進めたいんですが、その前にすこし解説します。
 こういう自己分析の作業は精神分析でよくやるテクニックです。これも私というものをとらえる1つの手口だと思って考えてほしいんですが、今の作業についてのねらいというか、どんな意味でやったかということを少しだけお話しておきたいと思います。
 1991年のペンシルバニア州立大学の夏期セミナーの授業の中でカイム先生に私はこの作業をさせられました。「ミスター米谷。おまえは、どういうことを思い出せるか」と。僕はそのときどんなことを思い出したかというと、これは、もうはっきりしているんです。洗濯機が家にきた。うちのお袋がそれを喜んだ。そのシーンが思い出されました。それよりさらにさかのぼれば、おばあちゃんが寝たきりになっていたこととか、あとは、掃除機のこととか、そういうことがぽんぽんと出てくるんですが、一番はっきりと思い出せたのは、お袋が洗濯機が家に初めてやって来て喜んだというシーンなんです。
 その思い出はそれまでにも幾度となく思い出すことがありましたが、なぜそれを思い出せるかということは、それまで全然考えずにいました。カイム先生は、私に「君はなぜそれを思い出せるのか」とたずねたんです。それまでそんなことを考えてみなかったから、そのとき一生懸命考えた。その際、先生から「そこに今の君がいる」「あなたの原点がそこにあるのではないか」ということを言われたのですが、ふっと気がついて、「あ、そのとおりだ」と思った。
 カイル先生もおっしゃってたんですが、僕は母親が喜んだっていうことを大事にしていた。母親にずっと世話になっており、それに対する負い目があった。そういう気持ちが心の底にあって、自分の母親を楽にさせてやりたいと思っていた。
 皆さんは、家庭に洗濯機がなかった時代のことを知っておられますか?そんなに、あなた方と私の子どもの頃とかけ離れているとは思えないのですが、今から40年近くも前の頃のことです。うちのお袋は学校の先生だったんですが、朝の5時に起きて洗濯をしていました。金ダライに井戸水を汲んで。寒いときでも井戸水って比較的あったかいんですが、東北は冬は特に寒いですからね。金ダライに井戸水汲んで、洗濯石鹸を使って、洗濯板でごしごしごしごしと洗濯物を洗って干して、それから職場に出かけていくわけです。
 それでも洗い物がたまりますから、日曜日なんかは、洗濯大会。また、掃除大会になるわけです。それらが終わると、もうほとんど半日終わっちゃう。そういう生活をしてて、よく共稼ぎで頑張ってたなと思います。私は、家でお袋と一緒にご飯を食べたという記憶があまりないですね。勤め先の学校から帰ってくると大体、私はもう晩御飯食べ終わっている。おばさんが同居してましたんで、そのおばさんが家事をやってたんで、夕食もちゃんと用意してくれる。
 夕食は大体、時間どおりでした。というのも、私の父は国鉄職員だったので、夜勤もあるんですが、夜勤がないときは、ちゃんと6時になったら帰ってくるんです。お父さんが帰ってくるとご飯。お母さんは帰ってこない。と言うか、母親の職場はちょっと遠くにあったんです。昔だったら3キロぐらいだったら歩いて帰るんです。5キロぐらいあったかもしれない。職場まで歩いて行って歩いて帰ってくるんですね。
 毎日ようやったなと思うんですが、5キロぐらいあったかもしれないね。5キロぐらいの道を歩いて帰ってくる。向こうを5時半ぐらいに終わっても、1時間以上歩いて帰ってくるんで夕食には間に合わない。そんなわけで、お袋が帰ってくるときには、みんなご飯が済んでいる。お袋は1人で台所で何か、ささっと食べてたというふうな記憶があるんですが。それはさておいて、その母親が電気洗濯機で洗濯できるようになったことが私にはものすごく嬉しかったんですね。それが何か僕の原体験かも知れないなと思いました。マザコンだと言われるかもしれないが、そうではなくて、お袋に対して何かすごい負い目があった。母親が自分や家庭のためにそうやって頑張ってくれたという印象が心に強く残っているんです。
 それは、自分にとってすごくいい思い出なんです。それは、僕の何か根っこみたいなところにあって、それがずっと支えてきている何かような気がしてて、だからカイム先生に「おまえの原点がそこにある」と言われて、「ああ、なるほど」と思ったんですね。その時の自分こそが本当に私そのものかも知れないと。
 思い出についてですが、例えば、記憶の中で思い出したくない記憶というのは出てきません。トラウマ(心の傷)みたいな嫌なことはまずは出てこない。また、いい思い出でも、原体験のようなものは、そういつも思い浮かぶものではありません。
 大体、何かにぶつかったときに、そうしたことが思い出されるものです。なぜ思い出せたのか。なぜ、そういうことが今でも記憶に残っているんだろうなっていうこと。それを分析していくと、自分が見えてくる。思い出の中の自分というよりも、それを思い出したいと思っている自分が本当の自分だという見方があるんです。つまり、一番古い思い出として残っている時が、あなたの原点、つまり、「自分の誕生日」ということです。
 
5.自己分析(続き) −これまでの悩みの歴史
 
 自己分析をさらに続けます。この作業(作文)も個人作業です。
 今思い出していただいた「自分の誕生日」の後も、ことあるごとに自分が出てくると思うんですね。いろんなシーンで、ぽんぽん自分が出てくる。ただ、もう思い出すことがありすぎて、ここではちょっと書けないなとなれば、あと、ゆっくり家でやってほしいんですが、ここでは、その後のビッグイベントですね、そのあとで起こった自分にとってのすごく大きなことにはどんなことがあるか。これを、書いてみてください。
 今日は、あまり時間がないので、ポイントだけやってもらいますが、特に、悩みの部分ですね。「山」とか「壁」とか言ったりしますが、小さいときから今まで、そして、今も必ず悩みをかかえていると思うんです。みんないろんな課題や悩みをもっていると思うんですが、どういうときにどんな悩みをもっていたのか、そしてそれをどうやって乗り越えてきたかというのを書いてみていただきたいのです。簡単な自分史を書くということです。5分はさし上げたいんですが、5分ぐらいかけて、自分が生まれたあとどういうふうにして今に至っているかを書いてみてください。
 どこの小学校に行って、その次にどこの中学校に行って、それからどこの高校ってとか、そんなことは聞いていません。そんなことは関係ない。いつ頃、どんな悩みや問題を抱えていたか。それをクリアーするのにどのぐらいかかったか。さらに、その悩みが解決した後、次どんな悩みや問題が出てきたか。今は、どんな悩みをもっているのか。ポイントだけでもいいですから、メモしといてください。この内容はグループワークには使いません。すごく大事なことなので、おさえておきたい。5、6分あげます。できるとこまでやってほしい。深く考えると思い浮かばなくなりますので、ぽんぽんぽんぽんと3つ4つね。2つとか1つでもいい。
(6分程度待つ)
 
6.短大生の調査結果から
 
「自分の誕生日」
 時間がなくなってきましたので、話をちょっと進めます。あと、2つぐらいで今日の内容は終わると思うんですが。皆さんのお手元にある資料を見ていただきたい。
 これは、皆さんと同じぐらいの年齢の学生に今の課題をしていただいた結果です。「この人たちは短大生で、自分たちは4年生の大学生なので同じではない」と思う人がいるかもしれない。でも、僕はそうは思わないんですね。男性と女性の違いがあるかもしれないし、男の子にはない問題も含まれているかもしれないとは思うんですが、この結果を一般化できると思います。
 まず、どのぐらいまで自分の記憶をさかのぼれるか。さらに、そのときは、どんな状態・状況で、登場人物は誰かということですが、統計をとったら、まず、どの時期まで思い出せるかというと、大体、2・3歳でした。それも、漠然と「幼稚園ごろ」とか「保育所のとき」というのがほとんどでした。
 そのとき、どこで、どういうところの自分が思い出されたかというと、幼稚園や保育所で、あと、自宅で、家の近所というのもあったし、公園というのもないわけではなかった。
 次は、だれとということですが、同年代が多かった。男の子が出てくるのが5人、女の子が出てきたのが4人。そして、家族や親類。面白かったのは、お母さんが必ずしも出てくるわけではないということです。皆さんはどうですか。お母さんが出てきた人はいますか。僕の場合は母親しか出てこなかったんですが、短大生の結果は、父親2人、母親2人、家族が8人、おじいちゃん、おばあちゃんが2人です。あとは、先生。保母さんが2人、幼稚園の先生が2人。
 何をしていたか。泣いていたとか、何か公園で1人ぼっちだったとか、そういうときもありますし、あとは何か嬉しかったとか、そういうふうなネガティブな気分もあるしポジティブな気分もありました。皆さんはいかがでしたか。
 このことを、まず大事にしてほしい。私のような謎解きができるとは限らないんですが、一体、なぜ自分が、そのことを思い出すのか、それは一体、自分の何なのかということを常に考えてみると、自分で、こういうことを大事にしてきてんだということが見えてくるかもしれない。それは、すごく抑圧していることを解き放つこととはまた違って、意味があるわけです。
 
悩みの自分史
 今度は悩みについて。今まで、どんなことを悩み、問題としてきたか。そして、それをどうやって乗り越えて今に至っているかということを聞きました。
 すると、短大の1年生、皆さんと同じぐらいの歳の方ですが、一番多かったのが友人や仲間との人間関係でした。友人と言っても、幼稚園や保育所の同じ年頃の女の子、男の子ですね。仲間はずれにされたとかいうのもありますし、あとは、クラブの中でリーダーとしてうまいこといかなかったとか仲間はずれにされたというのがありました。これは、クラブ活動ということですね。
 その次は、異性ですね。特に高校以降の男女問題。「そこまで書くなよ」といった赤裸々なことを書いてきた子もいます。あとは、将来、進路、就職。そして、父親。他には、高校入試、転校、給食。自分が食べるのが遅いとか、好き嫌いがあって、そのために給食で苦労したとか、みんなからいろいろいじめられたとかいうのね。
 こういうものを見てみると悩みというのは、人間関係、そしてまた、自分自身の問題だということです。
 
私とは何か
 最後に、私とは何かという話に戻したいんです。前回は自己イメージを取り上げて、プライベートなことを書いていただきました。来週もこれについて触れますけれども、「私」というのは考えや感じだとも言えます。ことあるごとに自分の気持ちが動いたり感情がぱっと出る。「私」とは感動したりするときの自分なんです。
 特に、「私」を意識するときはどういうときかというと、それはまさに悩みや困難にぶつかったときです。何か問題にぶつからないと意識というのは起こらないと思う。自分とは何かという意識が起こるというのは、行き詰まったときです。行き詰まることで、その行き詰まった自分が見えてくる。そういう意味では、「悩み、それがあなたに他ならない」という考え方があります。悩みがあなた。あなたイコール悩み。
 悩みと言うと、何か深くて暗くて嫌なイメージもありますが、そういう悩み、問題、壁というものを意識しているものが「私」であるという説明があるんですね。
 そのときそのときの私というのは、何かの問題に直面して、それを何とかしたり、それに喜んだりしている場合もあるし、いろいろな気持ちをもって、ある状況の中に、真っ只中にいるものです。
 基本的に、青年期まで悩みの中心は自分の問題、もう1つは、人間関係の問題。ということは、悩みというのは、ほとんどが人間関係論になるんじゃないかとも言えるんです。もう少しだけ説明しておきます。
 前回説明しましたように、自己の理想像と現実像とのギャップが悩みになります。自分は、こうありたい。だけども、今こうだと。そのギャップが悩みになる。ギャップを意識するから悩むんです。その理想像は実は他者への憧れや妬みとして経験されます。
 「だれかと比べて自分は劣っている」というときの「だれか」というのは、自分の理想像を他者に投影したものほかならないという考え方があるんですが、この他者と自己との比較のプロセスの中から感じられる感情というのは何か。ギャップ、イコール、劣等感ですね。人より劣っている、自分は駄目な人間である。これが基本的には自己というものの1つの要素となります。
 劣等感というのは何でしょうか。実は、劣等感イコール向上心なんです。劣等感は、何とかよりよくなりたい、理想像に近づきたい、自分を理想的なものにしたいという向上心の裏返しだという考え方があります。基本的には、自分というのは、そういう理想像と現実像の間にはさまれている自分なのです。
 女子短大生の悩みには、人とのかかわり合いの中で、他者とのかかわり合い自体が悩みになる場合、無視された、いじめられた、人に話を聞いてもらえないとか、あと、嫌な相手から何かをされている状態、みんなについていくことができないというのもありました。とにかく、人にかかわる中での悩み、その中でのトラブルや問題が悩みになる。
 でも、それも、まさに、あなたそのものだと思います。どうしたらそれが解決できるか一生懸命考えている姿こそがあなたの現在の姿なのです。それが解決できたり、また、そういう問題を問題と思わなくなったら、また、新たに違った問題が出てきます。単に、意識がこっちからこっち、注意がこっちからこっちへ移っただけのことかもしれまえせん。問題解消ということもあるでしょう。でも、悩みがなくなることはないと思います。そのときそのときの悩みというのが、まさに、あなたなんですね。
(来週の予定を話して終了)
講義録(平成11年11月12日)
 
第4回 女性のライフコース(1)
 
西垣悦代(和歌山県立医科大学)
 
1.導入
 
○司会(米谷)   きょうから3回、今週・来週・再来週ですね、11月の末まで和歌山県立医大の西垣先生に案内役をしていただこうと思います。西垣先生のご専門は社会心理学ですね。あとは授業の中でいろいろお話ししていただけると思います。きょうは1回目だということで、皆さんも西垣先生といろいろ話し合って、互いに知り合うつもりでやっていただければと思います。では西垣先生、よろしくお願いします。
 
 おはようございます。今紹介していただきました和歌山県立医大の西垣と申します。
 きょうから3回、予定のライフコースというタイトルで講義させていただきます。所属は和歌山県立医科大学なんです。和歌山なんですが、最近何かとお騒がせの、カレー事件とか、市長の疑惑とかで。自宅は神戸市の○○区ですが、ここから○○分ほどのところに住んでいます。
 今回の「自己と他者」の講師の中で唯一女性ということで、「女性の」というようなタイトルの講義にしていますけれども、男子学生の方も無関係ではない。まあ青年期の中での進路選択とか、あるいは展望とか、現代社会のかかわりの中での人生設計といったような、そんな話になると思います。一応予定のコース・スケジュールを準備してきましたのでお配りいたします。(資料配付)
 今お配りしました「講義スケジュール」というプリントですけれども、一応3回の授業ですね、ここに書かれているような計画で進めていきたいと思っていますが、少人数ですし、講義だけではなくて、比較的インタラクティブに、あるいは、いろいろな作業も加えながらということがこの授業の趣旨のようですので、適宜皆さんの反応などを見ながら内容を変えていく可能性があります。
 ライフサイクルという言葉は、皆さん、聞いたことがあると思うんですが、ライフサイクル理論から見た人間の一生、あるいは、青年期の位置づけといったお話をしたいと思います。
 次回は「従来のライフサイクルの理論と現代社会」。皆さんも新聞とか、あるいは、テレビなどで不況であるとか、あるいはこれは単なる経済不況だけではなくて、社会構造が変わっているんだとか、そういったような話をよく聞くと思うんですが、現代社会において従来言われていた理論がいろいろと変わってきたり、あるいはむしろ人間の生き方が変わることによって、社会全体が変わったりという、変動している部分にスポットを当てたいと思います。
 3回目はこの3回のまとめというような形になると思いますけれども、「女性のライフコース」ということだけではなくて、男性・女性、男女共生社会という言葉を最近よく言われているんでお聞きになったことがあると思いますが、そういったことを入れてお話ししたいと思います。
 アスタリスクのついた事項が各回の一番最後に書いてありますが、これらは皆さん方にやっていただく調査とか尺度です。この授業全部を作業的なものにするわけではないんですが、授業の一部を皆さん自身に答えたり考えたていただくような形にして、それをできればお互いにフィードバックしあったり、話し合ったりしていただくことにしたいと思います。きょうは1回目ですので、授業の進度の具合でどれくらいの時間がそれにさけるか、様子を見ながら進めていきたいと思います。
 この授業は、特に指定するテキストとか参考指定図書のようなものはないんですが、(プリントの)下にあげております参考文献のところに、心理学を中心としまして、女性と社会とか、女性の生き方、女性の心理といったことに焦点を合わせた本をいくつか紹介しています。
 これらは「女性」と銘打っている書物ばかりですけれども、別に男性が読んで全然関係ないといったことでもないです。最後に家族の事例が出ております。まあまあ別に女性の生き方だけのもんではありません。これらの本についてもっと詳しく知りたいというようなことがあれば、どうぞあとで聞いていただきたいと思います。
 以上のようなことで、このシラバスに沿ってまずライフサイクルということの説明をしたいと思います。
 
2.ライフサイクルとは何か
 
 もうすっかり「ライフサイクル」はカタカナで書かれる言葉になっているんですが、いろいろなとこで聞くので大体の意味とかもうご存じかと思うんですけれども、これは心理学とか社会学の言葉として最近よく使われるようになっているんですけれども、もともとは生物学の方面からきた言葉ですね。日本語に訳しますと「生命周期」ということになります。この訳語を使う人はあまりいませんけれども、ライフとサイクルをそれぞれ訳すと生命周期という言葉になるわけです。
 もともと、ある一定の期間内に何かを繰り返していくようなことをサイクルと言っています。日本語の訳としては「循環」というような訳もあります。これは先ほど言いましたように、もともとは生物学の概念として出てきたものなんですけれども、「人間に限らず生命体は規則的な推移を経て発達する」といったような、そういう意味で最初は使われていました。
 これは例えばどういうことかと言いますと、蝶の一生というのを考えてみることにしますと、蝶というのは大体卵からかえって青虫になるわけですね。それで青虫でキャベツの葉っぱとかを食べて、ある時期がきますとサナギになります。それでサナギの期間をしばらく過ごして、サナギから出てきたときに蝶になるという、そういう一生を過ごすわけです。この場合、蝶の種類とか、あるいは個体差によって、何日目にサナギになったとか、何日目に孵化したというような違いは多少あったとしても、蝶という生命体はすべて同じような経過をたどって変化していくわけです。これがそもそもの生物学的な考えの「ライフサイクル」です。
 しかし、心理学とか社会学の考えの中で「ライフサイクル」と言った場合はそういうことではないんですね。最初に社会学的な方面でこの言葉を使った人というのは、これは心理学者ではなくて、経済学者のランドリーという人だと言われています。この人はイギリスの産業革命の当時の経済学者、労働経済学者だったそうなんですけれども、これはサナギが蝶になるときに、こうある一定の期間を経てなんかこう変化する段階があるという、この考えを人間に取り入れて、イギリスの産業革命当時の労働者階級の経済生活に一定の規則性があって、必ずみんなこういうふうな推移をたどるんだということを発見した人なんですね。
 それはどういう労働者の一生かと言いますと、まずその当時ですから15、6歳ぐらいで工場労働者としてかり出されます。低い賃金でこき使われるわけなんですけれども、少しずつお給料は上がっていく。しかし、結婚をし、しばらくして子供が生まれてからは、子供が1人ふえるたびに賃金の上昇よりも家計を支えるために必要な金額が増大していくので、どんどん貧しくなっていく。しかしその子供が今度は、ある一定の年齢に達して働くようになると、今度は家業を支えるようになるので、自由に使えるお金の額が大きくなっていく。子供の数によって多少の違いはあるんですけども、少しずつ家計を支える人が増えるので次第に家計の状態がよくなっていく。それが、定年に達して工場を辞めると、年金制度なんかありませんので、今度は収入がパタッと途絶えて、また貧困生活に落ちていく。それがその当時の労働者に共通性の高い推移の過程だったということなんです。
 この発見により社会科学にライフサイクルという概念がとり入れられたんですが、今ではもう少し幅広い概念として使われています。しかし根底にあるのは、生命を持っているものはある程度共通した過程を経るという考え方です。
 ところで、個人個人のライフスタイルの差ということは、ライフサイクルという概念の中にはあまり入ってこないんですね。個人差のことに注目しているのはライフコースという考え方です。これは2回目の主要なテーマにしています。ライフサイクルとライフコースは非常によく似ているんですけれども、この違いは言葉を使うときにきちんと区別をしておいていただきたいと思います。
 ライフコースというときには、個人の選択によって例えば仕事を続けるんだとか、あるいは共働きをするとか、専業主婦になるといったような、そういう1人1人の選択による差に主眼があるわけなんですけれども、ライフサイクルと言った場合には、幅広くみんなに共通するステップ(段階)に主眼があります。
 人間の場合は青虫がサナギになるというふうに、ある日突然パッと姿が変わるわけじゃないです。ではどういうふうに共通した推移の過程としてのライフサイクルを区分しているかというと、これは年齢しかないわけですね。もちろん年齢以外に焦点を当てているものもあるんですが、主に基本的な区切り方としては、外見上の変化というようなことでは区分できませんので、人間の一生ですね、ライフサイクル理論から区分していきますと、いくつかの段階として、これは各研究者によってだいぶん違うんですけども、まずごくおおまかに分けた場合ですね、生命の発生をいつからとり込むかによって多少の差はあるんですが、まず生まれる前の胎内にいる時期。これは胎生期というふうに呼んでいます。
 発達科学部の方はもうどこかでもう既に勉強をされているかもしれませんけれども、一応あまりそういう知識がないものとして、簡単に紹介していきたいと思います。
 生まれてから一番最初の段階というのは乳児期ですね。乳児期の中でも生まれてから約1カ月間を新生児期というふうにして、ちょっと特別に扱うことがあるんですが、ここではそんなに細かくは分けないです。そして幼児期、そして児童期、生まれる前の胎生期から始まって、生まれたあとは乳児期、幼児期、児童期、青年期、成人期、老年期というふうに一応名称的に区分しているわけです。
 では、乳児期から幼児期になるのはいつか。これは青虫と違って、「アッこのときだ」というふうにポイントをきちんと決めることは難しいんですが、大体おおよその目安として、生まれてから3歳未満ぐらいまでを乳児期と言っています。新生児期というのは生まれてから1カ月間のことで、乳児期の中の一時期として扱います。
 それで幼児期というのが大体幼稚園とか、あるいは保育所などに行っている時期に相当するんですが、これは6歳未満ぐらいまで。そして児童期というのが大体小学校ぐらいに相当する時期というふうにされます。このあたりは大体各研究者によって共通した分け方になっているんですが、次の青年期、まあちょうど皆さん方の年齢に相当するんですが、これは多くの場合は青年期の前期と後期というふうに分けている研究者が多いです。
 青年期の前半の時期というのが、ちょうど子供から大人にさしかかる時期で、これは何回も聞いたことがあると思うんですが、思春期と言われている時期です。いろいろと体の変化が起こってきたり、あるいは精神的にもちょっと不安定になって、今までの子供らしい子供からちょっと自分の世界を持つようになって、ちょっと考え込んだり、親にはあまり言わない、なんか自分の独自の世界を持つようになったするというのが思春期なんですね。これは大体中学生ぐらいまでということで、15、6歳ぐらいまでを青年期前期と言っています。
 青年期の後期になりますと、このあたりからいつ終わるかということがはっきりしなくなってきます。一応、青春期というふうな名称がつけられたりもしていますが、いつ青年が終わるのかとなりますと、これはこれまでの時期のように比較的明確に区分することが難しくなってきています。というのはここまでの段階ですと、大体日本のような文明国ですと、学校に行っている時期ですね。大体みんなある年齢の子供がどういう社会的立場に置かれているか、どういう種類の学校に行っているかというようなことが共通しているんですが、ここから先はもう随分個人差が大きくなってきて、いわゆるそのライフサイクルの前提である共通のステップを踏んでということがかなり崩れてくるわけなんですね。だからこそ心理学や社会学でいろいろ個人の選択ということを考える余地が出てくるんですが、早く社会に出る人とそうでない人、結婚する人しない人によってそこから先が変わってくるんですが、青年期後期は目安としては30歳ぐらいまでというふうに考えられています。この終わりの時期は、最近、だんだん遅くなりつつあるんです。
 次は、成人期と言われる大人の時期なわけなんですが、一口に言いましても、これは結婚して夫婦だけの時代とか、子育て中の時期とか、子供が独立したあとというふうに、これは内容的には非常に充実したというか、変化に富んだ時期です。
 さて、人生の締めくくりの老年期というのは、それでは、いつからかというと、これも非常に曖昧ですね。多くの会社では60歳で定年ですが、最近では60の人を老人というのはちょっと失礼かなということもありますし、年金をもらえるのがだんだん遅くなりつつあります。また、老人保健法で老人の医療システムに入っていくのは70歳ですし、市バスが只になるパスがもらえるのはいくつというふうな行政上の区分もいろいろありますし、個人に限って見てもその人の社会世界とのかかわりとか、あるいは肉体的な若々しさとか、そういったことで非常に個人差が大きくなっていますので、一概に何歳からというようなことは、ここでも言いにくくなっています。仮にとりあえず老年期の開始を65歳としておきます。そのちょうど30歳から65歳ぐらいまで、その中間にあたるのが社会の中枢になるべき成人期という時期ということになります。
 最後は「死」ということで、生まれて、だんだんと成長して変化して、そして最後に死に至るんだというふうに大きく見れば、人間もすべて同じ過程を経るというふうに言えるわけです。が、問題はその中身なわけですね。
 社会学的、あるいは、心理学的にライフスタイルをみた場合、外見上の変化はほとんど重要ではありません。むしろその時期、その時期にどういうふうなことを身につけ、何を課題にし、あるいはそれを克服していくかといったようなことが、このライフサイクルの中心的なテーマになってくるわけです。
 各段階は「発達段階」とも呼ばれます。これはどちらかと言うと心理学的な用語なんですが、各時期、各時期にこういうふうな課題があって、これを達成したら、この次の段階に到達していると言えるというふうな考えで議論を展開している心理学者はかなり大勢います。
 例えば、ピアジェは、子供の思考や認識の能力が歳を経るごとに質的に変化していくというふうに考えます。子供の思考は大人とは非常に違います。抽象的なことというのは子供は考えられないんです。
 あるいは、フロイト。これは精神分析の専門家ですが、彼は無意識に人間が持っている欲望が各時期にどういうことに向けられるかということで時期が区別できるというふう論じています。
 このフロイトの説を展開したのがエリクソンです。この人はフロイトと同じように精神分析家ですけども、精神分析の立場に立ちつつ、個人と社会との関わりの中で人が発達していくべき課題が、それぞれの段階にあると考えました。その時期にはその時期なりに、人と社会とのかかわりの中で、こういう課題を達成すべきであるというものがあり、それがちゃんとクリアできれば、次の精神的な発達段階に移行するんだという考えで、人生を全部で8つの段階に分けています。
(8段階を板書する)
 それを資料をもとに説明したいと思います。5枚綴りになっているんですが、今見るべきところはちょっと後ろの方になっています。後ろから2枚目、「エリクソンの発達理論」というところを見てください。右側のページにエリクソンが想定した1から7までの発達段階。ちょっと今私が黒板に書いたものと多少名称とか、時期的なずれがあるんですが、エリクソンは人間の一生をこのような8つの段階に分けまして、それぞれの段階で大切な社会とのかかわりがあげられています。ここで社会というのは、他者とか外界と言い替えてもいいと思います、赤ちゃんにとって社会というのは、社会に出て働くとかそういうことではなくって、自分以外の存在、お母さんを中心とした周りの人ということですね。
 エリクソンの基本的な考え方というのが、左側のページでエリクソンの発達理論というところの@からCに書かれています。ちょっと見ていただきたいんですが、「社会(取り巻く環境)」と書いてあります。これは人を中心として、その周囲にあるものということですね。人は他人との相互作用、つまりお互いの関わり合いの中で発達していくものである。決して人間は単独で存在しているということではないということですね。それから人間は生まれてから死に至るまで生涯にわたって発達するものである。大人になったら、それがピークで、それ以降はもう何も発達するものがない、単なる下り坂だということではなくて、各段階にそれぞれ達成すべき課題がある。たとえ老人期であっても、ちゃんとそこで達成すべき課題があるという考え方です。
 そしてこの3番のところなんですが、人間の一生が8つの発達段階に分けられる。各段階には固有の発達課題があり、単に生物学的なライフサイクルで体が変化するというものではない。心理・社会的に、内面的に変化していくということが人間の発達であり、それが共通しているというのが社会学的に見たライフサイクルということなんですね。
 そして4番としては、その発達というのは前段階の課題を達成して、そしてそれを基盤にして次の発達段階に進むのである。これが非常に難しいところなんですけど、心理・社会的な発達段階をちゃんと達成したり、解決してなくても年齢の方はどんどんどんどん進んでいくわけですね。ですから人間の場合は、歳だけはこうストップしたり何か1か所で停滞することはありませんので、どんどんと進んでいきますが、人によっては実は幼児期の大事な課題を達成しないままに、大人になってしまったというようなことも起こりうるというのがエリクソンの考え方です。
 詳しくはこのプリントを読んでいただければ大体わかるんですけれども、右側の表を中心にしながら簡単に、各段階で何が必要とエリクソンが考えたかということを説明したいと思います。
 エリクソンに限って言えば、0歳から1歳というところで1つ区切りがあるようなんですが、この生まれてから1年間、つまり赤ちゃんの段階なんですが、ここで身につけるべきことはお母さんとか世話をしてくれる養育者に対する基本的な信頼感。自分が無力で、何かこう守られなければいけない存在なんですが、自分が何もしないでも絶対的に自分を受け入れて愛してくれる存在というのが自分にはあるんだということを赤ちゃんなりに研究を通して感じ取るということ。これを基本的信頼と言っています。
 プリントの説明のところにも、「乳児は自分の欲求に適切に応えてくれる環境を通して、自己の身体的安全や精神的安定を確認する」と書かれてあります。これは自然環境が自動的にしてくれるわけじゃないですから、ここでの「環境」は当然のことながらその赤ちゃんの世話をしてくれる母親を中心とする周りの人たちです。乳児のときには自分を絶対的存在として世話をしてくれる人が必要で、その人との間に信頼関係を結ぶということがその後の人生を成長していく上での一番の基本になるということです。
 しかしすべての赤ちゃんが幸せで、自分を本当に守ってくれる精神的安定を保障してくれる存在に恵まれるとは限らないです。この表に「不信」というのがありますが、基本的信頼が確立できなかった赤ちゃんが不信感をもつ。そうなるとそれが後々のその人の社会とのかかわりとか、人とのかかわりの中でさまざまな病理的な現象とか、トラブルの元になる場合があるそうです。
 次に乳児期の後期の段階。3歳くらいまでなんですけれども、いわゆるまったく依存的な段階を1つクリアしまして、次は少しは自分で、例えば言葉をしゃべったり、あるいは自分の足で歩いたり、あるいは自分でスプーンを使って何か食べ物を食べたりというようなことができるようになってきます。この時期は自立性、すなわち、自分が環境に働きかける、あるいは自分が自分をコントロールするという、そういうことを学ぶ時期です。
 この、自分で自分をコントロールする自己統制の代表的なものとして、エリクソンはトイレット・トレーニングをあげています。排泄に関して自分でコントロールできる、つまりトイレできちんと排泄ができるということは、自分の身体を自分でコントロールすることでもあります。社会的なルールに従った排泄というのは、いつ何どき、どこでもしていいものではなくて、こういう場所でこういうふうな形でするんだということを身につける、そういう時期だと言っています。これは決して子供にとっては簡単なことではなくて、オモラシをしたり、オネショをしたりいろいろ失敗を繰り返しながら、だんだんとできるようになるわけです。
 次が幼児期の後期ですが、この時期は今度は初めて子供が社会生活というべきものを経験する時期と言って差し支えないと思います。初めて同年代の子供たちと一緒に活動をするような幼稚園や保育所に行く、初めて家庭以外の世界を知るというのもこの時期です。このときにはいろいろと積極的に周りの環境を探索したり、友達をつくったりというようなことで、自分の世界を広げていくということが課題になります。
 こういう時期にあまりにも過保護でずーっとお母さんが卵を温めるように、じーっと、こう、子供の自発的な活動をあまり許さずに守り続けていくと、これまたそのあとで何らかの問題が発生する可能性があります。
 次、児童期ですが、児童期というのは大体6歳から12歳。これは小学校の時期ですね。幼稚園までと違って、朝きちんと学校に来て、椅子に座って勉強をするということになると、自由自在に自分のしたいことをして遊んでいたそれまでの時期とはかなり違ったものが要求されるようになります。ときには自分が面白くない、あるいは難しすぎると思うような課題にも取り組まないといけませんし、努力とか勤勉性というものが要求されます。そういうふうなことをコツコツとやっていくには、やはり自分を多少コントロールするというような、2番目の時期で学んだ自立性というものが身についてなければ、この4番目の勤勉性ということもあまりうまくいかない可能性も出てきます。
 次に青年期ですが、青年期というのはこれはエリクソンが乳児期の基本的信頼と並んで、もっとも重視したことなんですけれども、自分とは何だろうかということを問いかけ、そして自分は今度は本当の意味での社会とどういうふうにかかわっていくのか、その後の人生をどういうふうに展開していくのかということを、かなり真剣に突き詰めて考え、自分というものはこうだということを答えを見い出すというのが、この時期です。これはちょうど皆さん方の年齢に相当しているわけなんです。就職するか進学するか。進学するにはどういう勉強をしたいのか、そのあとどういう職に就きたいからどういう学部に行くのかということを、皆さんも進学の際に考えたと思うんですが、場合によっては入ってしましってから、やっぱりこれは私がやりたいことではなかったと言い出す。そして方向転換をする人もいれば、なんか入学をしてみたんだけれども、今一明確な目的が見い出せないで、大学にこなくなる人等々いろいろといますが、まあ多少のいろんな試行錯誤はこの時期には許されているというふうにエリクソンは考えています。しかし、青年期が終わるころまでには社会の中での「私」ということを確立する必要があるということを、はっきりとエリクソンは強調しています。
 その次の成人期なんですが、(資料に)「親密性 対 孤独」とありますが、社会の中での自分の位置づけができたあとは、今度は通常ならば伴侶を見つけて、そして家庭を築くという課題に直面するわけです。本当に一生をともにしようと思う人を見つけて、その人との間によい関係を築き上げるということが、この成人期の初期の課題です。これも例えば、乳児の時期にお母さんから十分に愛されなかった、あるいは虐待されていたというような人の場合は、この時期にきて本当に自分が全面的に信頼して、一生を託そうというような相手との関係を築く上で障害が生じたりというようなこともございます。
 次、壮年期ですが、生殖性が課題ということになっていますが、その前の段階でつくり上げた家庭で、子供を生み育て、次の世代を社会に送り出すというような活動、あるいは社会の中で仕事を通して、その社会を支えるという活動に積極的に関与していくというようなことを合わせて、生殖性が課題だとエリクソンは見ております。
 最後の老年期ですが、これは最近は人生が60年だった時代は、もう子供が育て終わって、あとの残りというのはおまけのようなものだったんですが、最近は高齢化社会ということで、この時期がクローズアップされています。退職してから死ぬまでの間、大体20年とかそれ以上あるわけですね。その時期を単なる余生として過ごしてしまうだけでは間に合わないという時代になってきているわけで、老人として社会とどうかかわるのか、人生の締めくくりとして、どのように自分自身を振り返っていくのかということは、非常に大事な課題になりつつあります。
 
3.個人作業 −自我同一性水準テスト
 
 皆さんは青年期にいらっしゃいます。自分とは何か、これから先どういうふうに将来を展望していこうか考える時期に達していると思うんです。プリントの2枚目をめくって見てください。その青年期の課題である自我同一性については、もう少しあとで説明しますけれども、ここの「やってみよう」というところにAからLまでの質問が書かれています。それぞれの質問に対して「まったくそのとおりだ」から「全然そうではない」まで6段階で回答をするようになっていますので、この質問を読んで、自分に大体ここが該当すると思う欄に○をつけてみてください。
 回答が終わった人は、右側の結果の整理のところを始めていただきたいと思いますが、これは足し算や引き算をするようになっているんですが、順番にやっていかないと正しい答えが出ませんので、気をつけてください。「それぞれ3つに区分しながら順番注意」と書いてあるんですが、その指示に従って数字を入れて、計算をしてみてください。
 点数が出た人は各自の同一性水準をこのチャートに従って出していただきたいんですが、ちょっとこれミスプリントがありますので、途中の人もちょっと見てください。まず「現在の自己投入の値」とあって、その右に「20以下19以下」と2つ分かれているんですけども、これはまったく同じような答え、「20以上」の間違いです。「20以上」と「19以下」ですごく行き先が違ってきます。その右の過去の危機の値というところの横にも、また「20以下、19から15」とありますが、これも「20以下」ではなくて「20以上」です。ですから2か所「20以上」というところが「以下」になっていますので、それだけ訂正した上で、このチャートに従って自分の場所を見つけてください。
 自分がどこに該当をするか判定が出た人は、それぞれについての解説がその次のページにありますので、そちらの方を見てください。
(時間をおく)
 それでは大体結果が出たようですので、今の尺度について簡単に説明して、そのあとで各自、自分の出た結果について、自分なりの感想とかを言っていただきたいと思います。
 今やっていただきましたのは、ごく簡単な尺度です。本来ならば皆さんが、その青年期の中でどのような位置にいるかということは、そんなに簡単にわかるわけではないんですが、今のアンケートというか尺度は、このエリクソンの理論をもとにして、さらにマーシャという人、解説のとこにも名前が載っているんですが、マーシャが、エリクソンの理論というのが、かなり抽象度が高かったので、それをより具体的な2つの概念によって青年期の中で、その青年がどういう立場にいるかということを明らかにするためにつくり出したものなんですが、マーシャは危機と傾倒、クライシスとコミットメントという2つの概念によって6つのアイデンティティの段階を区分しました。
 「危機」というのは、これは悪い意味ではなくて、自分がどうすべきかということを自分なりに悩んだり、あるいは今までこうだと考えていた考えが揺らいだりということを経験するかどうかということで、だから、青年期になんにも悩まないで、すーっとこう人生をエスカレータに乗かって上昇するのがいいとは決して考えていないわけです。むしろそのある段階、段階で真剣に考えて悩む方がむしろ望ましいという考えに立っています。
 質問項目の中で、「わたしは人生にこれまで自主的に重大な決断をしたことはない」とあるのは、これはその危機を経験してないということです。Fは例えば「自分がどんな人間になって、何をしたいかということを真剣に迷い考えたことがある」って、これは危機ですね。そしてもう1つの傾倒というのは、こう深く自分がそれに関わったかどうか。例えば大学に行っていて、もうクラブに入ってもう真剣にそこで求めようにしている人と、何となくそこで時間を過ごしている人というのでは、このコミットメントの程度が違うというふうに感じます。すべてのことに深くコミットするということはなかなか難しいですが、なんにもコミットするものがない、大学にそれが求められなければ、アルバイトに深くコミットする。一時期はそれも許されることなんですが、でも何らかの形で、社会とか人との深いかかわりがあるかどうか、この2つの観点でこのスペクトルのアンケートは構成されているわけです。
 その「ある・なし」によって表5の2を見てください。まず現在のコミット、自己投入が非常に高いかどうか、そして過去にいろいろ考えたり悩んだり真剣にしたかどうか。そして将来のことに関してかなり明確になって、今、その将来に向かって、その目標に向かって何か一生懸命コミットしているものがあるかどうか。この3つの点の「ある・なし」により、このような段階に分かれているわけです。
 ちなみにこの解説の上のグラフを見ていただきますと、男女の大学生310人に同じこの尺度を実施したところ、DM中間値というのが圧倒的多数、まあ50%以上を占めています。このDMというのはちょっと中途半端というか、「どちらにも当てはまらない」というのになっているらしいんですが、どういうことかと言うと、まず現在すごく真剣に打ち込んだり活き活きしているかどうかということに関しては、ある程度あるか、あるいは人によってはちょっとあまりない人もいる。それで過去にそういうことを悩んだかどうかということはあまり問題にしてなくて、将来像に関してほどほどにある人ということで、ちょっと中途半端なというか、あんまり目的喪失まではいかないけど、かと言ってものすごく積極的ではないという「ほどほど」の人たちが、この中間というところに位置づけられているわけですが、皆さん実際やってみられてどうだったでしょうか。結果とそれに関して、この結果はちょっと自分の現在と当てはまらないという人はそう言っていただいてもいいですし、実際に自分の今の状態と照らし合わせて一言感想を述べてください。
(学生ひとりひとりを当てて、個人作業の感想を述べさせる)
○学生1  僕はこんな値になったんですけど、現在の仕事のじゃなくて、将来の仕事を決めることが課題になるというのがわかって、確かによかったというふうに思っております。...
○西垣   だからあなたがここはひょっとしたら、過去に真剣に悩んだことがあるかも知れないし、ないかも知れませんし、どちらの人もこれに当てはまってよいということでしょう。
○学生2  僕はほとんど当たっています。
○西垣   当たっていますか。
○学生2  はい。
○西垣   じゃあ、もうかなり将来の目標も決めて、今それに向かってでということですか。
○学生3  はい。
○西垣   じゃその後ろの方どうぞ。
○学生4  私はAからF。
○西垣   AF中間ですか。いうことは今かなり活き活きとなんか打ち込むものがあるということですね。
○学生4  はい、目標に・・・。
○西垣   ああそうですか。
○学生5  ・・・。
○西垣   ちょっと納得がいきません。
○学生5  ・・・。
○西垣   うん、ちょっとね、曖昧ですね、このGM中間というのは。じゃ今の現実の今の生活は現在の自己投入とか、将来に向かってという観点からはどうですか。
○学生5  その将来に向かっての・・・。
○西垣   ああそうですか。じゃ積極的モラトリアムの方が近いのかな、自分の意識。
○学生5  はい。
○西垣   ああそうですか。じゃその後ろの方どうですか。
○学生6  わたしはDM中間で、しっかり過ごせそう・・。
○西垣   あなたはひょっとしたら、ここで真剣に悩んだとかあるいかも知れないし、ないかも知れませんし、どちらもこれに当てはまってよいということでしょうか。
○学生6  ちょっと、なんか、ほとんど当たっています。
○西垣   当たっていますか。じゃ、かなりもう、将来の目標も決めて、今それに向かっているということなんですか。
○学生6  はい。
○西垣   じゃ、その後ろの方はどうですか。
○学生7  わたしはAからF。
○西垣   AF中間ですか。
○学生7  AF中間で。
○西垣   ということは今かなり活き活きとなんか打ち込むものがあるということですね。
○学生7  はい。目標を持っていますし、・・・
○西垣   ああそうですか。じゃ・・・
○学生8  ・・・。
○西垣   ちょっと納得がいきません。
○学生8  なんか・・・。
○西垣   うんちょっとね。曖昧ですね。このGM中間。じゃ、今の現実の今の生活を現在の自己投入とか、将来に向かってという観点からどうですか。
○学生8  一応将来に向かって・・・
○西垣   ああそうですか。じゃ、積極的モラトリアムの方が近いのかな、自分の意識で。
○学生8  はい。
○西垣   ああそうですか。じゃ、その後ろの方どうですか。
○学生9  わたしはDM中間で、近いですけども、・・・、別にその打ち込むものを探しているので、・・・将来なりたいものというと・・・はっきりしないというか。
○西垣   まだはっきりしない。でも、そういうものをなんか見つけようという活動はしていますか。それとも何となくもう日々が過ぎて行っているという感じですか。
○学生9   一応・・・探しているという感じです。
○西垣   ああそうですか。じゃそちらの方はどうですか。
○学生10 わたしもDM中間のところなんですけど、初め、「ああなんかちょっとショックかな」とか思った。
○西垣   あまりいい感じではなかったのね。
○学生10 次のページを開けて、そのブロックのところを見たら、(該当者数が)一番多かったからなんか安心してしまって、「あっこういうところがDM中間というところなんかな」とか思ってしまいました。
○西垣   まあ大学生の平均像といってもいいぐらいなんですけど、でも実際この結果は今の自分に当てはまっていると思いませんか。
○学生10 確かに。漠然とこれをやりたいということはあっても、具体的にこうしよう、ああしようというのが今ないので、当てはまっていると思います。
○西垣   はい。じゃコメントをお願いします。
○学生10 ・・・。
○西垣   拡散ですか、そうですか。
○学生10 でも自分としてはDM中間位置の方が近いと思います。
○西垣   ああそうですか。じゃ拡散というのは今もなんかこう打ち込んでいるものがなく、将来像も漠然と何もないみたいなところなんですが、そういうわけではないということですか。
○学生10 そうです。
○西垣   じゃどういうところに○をつけたから、こういう結果になったのかな?
○学生10 どちらかと言えば、そうではないとか、そういうものが多くあります。
○西垣   ああ、ちょっと厳し目に○をつけたんですかね。
○学生10 はい。
○西垣   あなたはどうですか。
○学生11 僕はDM中間です。
○西垣   当たっていますか。
○学生11 まあ、そうですね。
○西垣   ああそうですか。はい、あなたどうでしたか。
○学生11 ...、といって悩んでいるんですけど、それは悩んでいるときはなんか悪いことみたいで。
○西垣   そうですね。積極的にああしようか、こうしようかということで、いろいろただぼーっと考えて、自分の体を動かさないでジーッと悩んでいるんじゃなくて、いろいろその可能性を試すためにいろいろやってみるとか、人と話すとか、そういうふうな積極的にこうあれやこれやと考えて、何というか、その進路をいろいろ探索するというのは非常にいいことだというふうにエリクソンは言っているみたいです。はい、どうぞ。
○学生12 ・・・に達しています。
○西垣   ああ、達しているんですか。
○学生12 ・・・
○西垣   ああ、1回社会へ出てから学習の能力目的にまったく最初1年生から入り直したんですか。ああそうですか。じゃ、もう何を目的に?何学部ですか。
○学生12 ・・学部です。
○西垣   ああそうですか。じゃどういうことを勉強しようというのは、かなりもうはっきり決めて。
○学生12 ええ。
○西垣   ああそうですか。結構ですね。
○学生13 私はAF中間です。わたしは・・・やっぱりちょっと迷っている部分があって、こういう形になっています。それで読んでみると当たっている部分があって。
○西垣   ああそうですか。じゃ、どういうふうなことをしようという問題というようなものは、かなり明確に・・・。
○学生13 けどその中でもまだ迷っていることがあるので。
○西垣   多分、社会人入学の方は、過去の危機を・・・。ある程度1回社会に出たおりにもう一度勉強をしなおそうという時点では、かなり真剣に考えたり、将来のことを見通しを立てた上での決断でしょうから、多分それは過去の危機というのは非常にたくさんあって、その上での現在であり将来のということでしょうか、そうですね、まあ納得がいくことですね。はい、どうですか。
○学生14 ・・・感じる。
○西垣   ああそうですか。はい、それで発達科学部なんですか。
○学生14 ・・・
○西垣   ああそうですね。今、ようやくやりたいこととか目的が見つかって、ここへきたのかもしれないけど、その前は、学校へ行かれたり、出席されるというときには、あまり目的のないままきてたかもしれないんですね。そういうことではないですか。
○学生14 ・・・
○西垣   はい、じゃ、最後になりました。
○学生15 DMの中間でやりたいことはあるんですが、・・・たいと思います。
○西垣   多少できてないけど、そのためになんか自分、今、自分が落ち込んでいることはありますか、どうですか。はい、わかりました。
 
 まあ、簡単な作業でしたけれども、お聞きしてみると、かなり皆さんの今の状態(危機)を反映した結果になっているようですね。これはやはり年齢とか、それから学年、それから学部の変更などによって、もうこの学部に入ったら将来はもうこういうふうに将来の職業がある程度限定されるというような学部と、かなりもう漠然といろんな選択肢のある学部の人とでは、多分、差がかなりあるんじゃないかと思いますが、エリクソンが強調していることは青年期というのは大いに悩んでいいんだと、でもその中でやはり社会とのかかわりの中で自分自身というものを見い出して、将来への展望を開いていくための努力をすべき時期であるということですね。
 資料の1枚目には、いろいろなそれぞれの言葉についての解説もありますので、読んでおいていただきたいと思います。
 
 最後に感想を書くんですね。自由に書いていただいてもいいですし、資料の最後のところに「振り返り」という記入欄があるので、ちょっと漠然とした質問になっているんですが、「この章を終えて」というか、「きょうの講義を終えて」と読み替えていただいて結構です。「あなたはどのような自分に気づきましたか」と。「どのような結果によって気づきましたか」というのは、ちょっと同じような質問なんで、ここにはきょうの授業の結果というか、きょうの授業を受けて考えたこと、気づいたことを書いてください。あいた欄には、あと2回ありますので、授業の進め方等について、「講義部分が多過ぎた」とか、「もっと話し合いたい」とか、なんか皆さんの希望があれば書いてください。
講義録(平成10年11月19日)
 
第5回 女性のライフコース(2)
 
西垣悦代(和歌山県立医科大学)
 
 
1.ライフサイクルとライフコース
 
 おはようございます。特別講義「自己と他者」、「女性のライフコース」の担当は今日で2回目です。先週の最後に、皆さんにフィードバックしてもらいましたが、それに関してちょっと気がついたことを今しっかり返答したいと思います。
 まず、自己否定タイプの方の中に発達科学部の方が多く、その方たちは発達段階、あるいは、エリクソンの概念というのを聞いたことがあるという人が何人かいました。これは教養の講義ですし、ほかの学部の方もいらっしゃいますので、そのレベルにあわせて、あまり専門的に詳しくやるということは避けたいと思っています。
 それから、もう1つは社会人学生の方がいらっしゃるということ。これは授業が終わって、コメントをいただいているときにわかったんですが、かなりいろいろな経歴があったりとか、あるいは、そういう方たちのアイデンティティーステイタスの結果を聞いて、「ああ、やっぱり社会人の経験がある人はこういうふうに違うんだなあ」と感じました。先週はわりと講義の時間が長かったんですけども、せっかくいろいろな経験とか経歴をお持ちですので、それをみんなで共有して考えていけるような時間もつくれるようにしたいと思っています。
 先週やりましたのは発達段階です。ライフサイクル論に基づいて各段階それぞれの発達課題を考えるというのは、一面では非常にわかりやすく、役に立つことでもあるんですが、最近はそうした考えを見直す動きが出てきています。というのも、時代背景とか男女の差とか、あるいは、個人差というものを無視して、みんながみんな同じような過程をたどるという、その考えだけに基づいて何か当てはめるというのは、やはり無理があるわけなんですね。
 特に、どういう点からそのライフサイクルの見直しが言われているかと言いますと、まず最近の傾向としては、長寿化の傾向が挙げられる。エリクソンの考えた発達段階にも当然、老年期の課題というのがあったんですけれども、これが異常に期間が長くなっているということです。子育て終了、そして定年退職、その後の生活というのが大体20年とか30年に延長してしまっています。人生50年とか60年と言っていた時期とは、老人期の発達課題という意味では同じでも、その内容が非常に変わってきている。それから、それに伴って中高年期、まだ老人とは言えないけど、中高年という時期。これも随分と延長しているということが1つ挙げられると思います。
 それから、もう1つはですね、生き方の多様化ですね。エリクソンは青年期に自分とは何だろうかということを問い掛けて、その中には職業の選択ということも含めていたんですが、エリクソンが暗黙のうちに前提としていましたのは、青年期で一旦仕事を選んだら、生涯その職を続けるんだということが前提になったわけです。しかし、今日のように多様化している、あるいは、複雑化している社会の中では、一旦ついた職を辞める、あるいは転職する、それからむしろ定職につかないでもっと自由な生活を楽しむというのも選択肢の1つに入ってきているということです。
 エリクソンは定職につかないでぶらぶらしている人、これはもう驚異的な状態だというふうに考えているんですが、今日の社会ではそうとばかりは言い切れなくなってきているということが言えると思います。
 さらに、個人の生き方だけではなくて、家族のあり方、家族の多様化ということも無視できません。これまでエリクソンはですね、成人期の課題として家庭をつくるとか、子供を育てるということを考えていましたが、これも離婚、再婚、あるいは子供を持たない、あるいは結婚をするけれども子供がない、それから、非婚というふうないろいな形の家庭のあり方、考え方というのはあまり前提となっていなかったわけです。
 そしてもう1つ、これは最もいろいろと批判の対象にされている部分ではあるんですけども、女性に特有なライフサイクル。。エリクソンが自分の理論を展開したときのモデルは男の人生であり、男性のライフサイクルが前提になっていたわけです。ですから、「自立と達成」ということが非常に重きを置かれていたわけなんですが、女性には女性のもう少し独自なライフサイクルもあるのではないか。これは現在社会が大きく変動している中で一段と再考の必要があるようになっています。
 男性の自立と達成ということがキーワードになるとするならば、女性の場合は「愛着と関係性」だと指摘している人もいます。しかし、エリクソンのライフサイクル論が、今では無意味なものになっているわけではなくて、時間的な連合と社会とのかかわりという中で自分というものを見いだすという大きな課題がある。決して、それが間違いとか、おかしいということになっているわけではないんです。
 今、長寿化という漢字を黒板に書いたんですけれども、時代の背景とか文化的な違いというものを考慮に入れた概念として、ライフサイクルに対して、「ライフコース」という言葉があります。これは「人生航路」と略されることもありますが、こういう日本語訳で言う人はほとんどいません。「ライフコース」とそのまま言う方が多いです。
 ライフサイクルが生物としての人間という視点に立って、どういう時代でも、どういう社会でも同じような発達過程と発達課題があるということを前提にしているのに対して、ライフコースはよりその歴史的な背景とか、それから文化的な面、そして、さらに加えるなら個人の選択、これらにより重点を置いています。
 ライフコースの研究の第一人者はエルダーです。彼は社会学者なんですが、『アメリカの大恐慌の時代の子供たち』という、そういう大著があるんですけども、これは大恐慌で、アメリカの1940年代ですが、多くの人が財産を失ったり、アメリカ中がパニックに陥っているような、そういう時代に少年少女時代を送った人たちが、その後どういうふうな人生を歩んだかということを社会学的に研究したものです。ですから、その大企業、大恐慌という時代背景を抜きにして誰にでも共通した事柄を問題にするものではなく、社会や時代背景と切っても切れない部分に焦点を当てているというのがライフコースの研究の特徴と言えます。
 
2.現代日本社会の特徴
 
 さて、現代の日本の社会について、時代的な特徴というのはどういうことがあるのかということを考えてみたいと思います。最初に資料をお配りします。
 よく戦後50年とか言われますけれども、この50年ほどの間に、日本の社会の構造も非常に大きく変化してきています。それに影響されて個々人のライフコースもいろいろと変化してきているわけなんですが、今の日本をあらわすキーワードと言えるようなことを、ちょっと前にさかのぼってみていきますと、まず農村社会であった第二次世界大戦前後ぐらい、もうちょっと前からですけれども、「都市化」という減少が起こってきまして、農村人口が徐々に減って、集団就職や何かで若い人が都市へ出てきて、そのまま定住する。もちろん都市に仕事がなければいけないわけですが、それは急激な日本の工業化だったわけです。
 農村の大家族から離れて都市へ出てきて、そこで家庭を持った人たちは「核家族」となります。その人たちは都市で生活するんですね。多くの「ホワイトカラー」、すなわち、農村で農業、あるいは漁業、林業などを営んでいる人たちとは異なる仕事につく人が増えてきたわけです。そして、世界的にというか国際的に見ると、日本の社会もいろいろな影響を受けています。全世界的な動きの中に組み込まれているということで、一時は「国際化」と言われて、その後は「グローバル化」、「ボーダーレス」とか言われるようになってきました。
 最近、こういうことを新たに言われることはあまりなくなってきましたが、最近の日本の社会状態をあらわす言葉としてよく言われる言葉にはどういうものがあるか、ちょっと考えてみてほしいんですが、1つは「長寿化」ですね。高齢化社会が来る来ると言って、もう何か非常に大変なことになるかのように言われています。これは厚生省の人口の予想よりもはるかに早いスピードで高齢化が進んでいるということで、個人でみると長寿化、社会全体でみると高齢化と言えるんですが、それ以外にどういうふうな現象が今の日本の社会にみられていると思われますか。何かないでしょうか。
 新聞とか雑誌などでよく言われている言葉として、何か思いつく言葉がありませんか。
 
○学生1   「情報化」
 
 情報化、そうですね。情報化がインターネットや何かっていう、随分言われるようになりました。
 ほかにないですか。突然言われて思いつきませんか。じゃあ、向こう側の人。何か、今の日本の社会の状況をあらわす言葉として。
 
○学生2   「少子化」
 
 少子化ですね。少子化も随分、何かここへきて突然というか、高齢化と同じぐらいの頻度で言われますね。
 ほかに何か思いつくものありますか。何かないですか。特に、思い浮かばないですか。
 長寿化、高齢化、それから少子化ですね。「少産少子化」と言われることもありますし、それから「情報化」ですね。ハイテクとかマルチメディアとか、そういう言葉でよく言われていますが、それ以外に日本の社会をあらわす言葉としては「高学歴化」、それから、「結婚年齢の上昇」とか「非婚」という言葉ですね。それから「離婚率の増加」ですね。 そして、また最近、最も頻繁に言われていることは「不況」、不況ですね。そして「大学生の就職率の低下」ということです。つい先日、大学生就職決定が60何パーセントというのが新聞に載っていましたけれども、就職難。これは新卒だけではなくて、中高年でリストラされてしまった人の再就職を含めて、非常に難しくなっているというようなことです。
 こういうことを念頭に置きながら、そういう社会状況の中で現在日本人のライフコースはどういうふうになっているのかということをきょうは主に社会学的な調査資料をもとにしながら考えていきたいと思います。
 
3.女性のライフコースの変化
 
 その前に、まず最初にちょっと資料を見ていただきたいんですけれども、資料の2ページ目を見てください。2ページ目の左上、これは時代ごとの女性の平均的な一生がどういうふうに変化してきているかということをあらわしている図なんですけれども。明治38年生まれ、つまり1905年、今世紀の初めぐらいに生まれた人。生きていればもう85歳近いという年齢ですけれども。それから昭和一けた生まれ、それから昭和26年生まれ、35年生まれということで、皆さんの年齢に相当する人は含まれておりませんけれども、女性の平均的一生としてこういうふうに変化してきているということをあらわしています。
 まず、今世紀の最初に生まれたおばあさん、あるいは、皆さんにとってはひいおばあさんぐらいの人というのは、生まれて学校に行くとしたら、ひょっとして行かない人もいたとは思うんですが、6年ぐらい。結婚は23.1歳と書いてありますが、これはむしろかなり遅い方で、明治の30年代生まれの方であれば15、6や18、9で結婚する女性も多かったと思います。そして、結婚してから生涯に子供を平均して5.1人産んだ。これも平均ではありますが、多い人ならばこの世代ですと10人ぐらい子供を産んでいるという人も珍しくはないわけです。一番末の子が就学してから、小学校に上がってから夫が死亡するまで10年ほどぐらいしかない。自分が63のときに夫が死亡して、その後、間もなく末の子の結婚を見届けるか否かというような状況で、そのぐらいの年齢で寿命がきていたというのが明治の生まれの人の平均的な一生なわけです。
 その後、時代が下るにつれて主にどの部分が変化したかっていったら、いろんな部分が変化していますが、まず学校へ行く年齢がずっと伸びています。最終学校を卒業するまでの期間が6年間ぐらいから学校へ行くのが12年とかそれ以上というふうに段々と伸びてきているわけです。ここに高学歴化という現象が1つ出てきています。
 そして、長い間学校に行っているということは、それだけ15、6で結婚するというような人が徐々に減ってきて、結婚年齢昭和35年の人で平均として25.5歳になっているんですが、これはまた別のデータで見ますと、もっと遅くなっていますね。最近、結婚年齢も上がり、生涯に産む子供の数が5.1、3.7、1.9、1.8。そして、今は1.4かそれぐらいになってきています。子供の数は少ない。したがって、子供が学校を卒業する年齢というのは、母親本人も比較的若いということになります。
 さらに、中高年の時代の延長。末っ子が学校を卒業するか、あるいは結婚をしてから夫の死亡までの年齢、これも20年とか30年近く伸びてきました。さらに、本人の寿命そのものも63.4歳から81.8歳まで、今後20年近く老後の人生、寿命が伸びているということなんですね。ここから、人生の各ステージで変化が起こっているということがわかると思うんです。
 
4.個人作業 −私のライフイベント
 
 今から皆さんにちょっと考えて書いていただきたいのは、これは紙は特に用意していませんので自分のルーズリーフか何かに書いてほしいんですが、自分のライフイベント、今までの歩み、それから、今後の予想、あるいは希望というのを書いてみてください。
 西暦とかで書いていただいてもいいですし、「何歳でなにを」というふうに書いてもいいです。誕生から始まってですね、例えば何歳のときに例えば幼稚園に入園し、何歳のときに弟が産まれた、というような感じで。これは今のような学校、卒業、結婚、出産と、こういう味気ないものでなくて自分にとって大事だったなと思う経歴を、学校の入学とか卒業とか就職といった公的なものだけではなくて、自分自身の生活の中ですごく影響を及ぼしたと思うような出来事も含めて、順番に書いてみてください。
 現時点では(みなさんは)神戸大学の学生であり、これから先も卒業後のまだはっきり決まっている人もいれば、漠然としている人もいると思いますが、おおよその希望するライフコースとして幾つぐらいでどういう職につく、幾つぐらいで結婚をするとか、こういったことで、できればこの先も志望のところまで予測というか、希望というか、期待というのも込めて書いていただきたいと思います。
 卒業後の目的がはっきりしている人はかなり詳しく書いてみてください。80歳まではちょっと無理だという人は、大体これくらいまでは何となく予測できるとか、希望があるという年齢まで書いてください。
(個人作業)
 もう書き終わっている人もいますが、もうあとしばらくで書けたところまでということで、きょうは5人と4人でちょっとお互い集まって、それぞれのを見せても差し支えないという人は見てもらってもいいし、ちょっと全部見られるのは抵抗があるという人は主な部分をみんなの前というか、そのグループで、説明というか、解説をしあってください。
 一応はみんな終わったのかな。できました?まだ?
 では、大体できたようですので、ちょっと人数的には1人向こうへ行った方がいいですね。男性2人別れて、後、社会人入試の全員、同じグループに固まらないでちょっと違った人が...、じゃあ向こうへ1人。
 適当に集まって、どうしてこういうふうに考えたのかというようなことを説明しあってください。。それから、全部見てもらった方が面倒がなくていいという人は全部話してもらってもいいです。
 どうぞ適当に集まってください。ちょっと移動しにくい机ですけれども、近づけてください。だれからはじめてもかまいません。
(各グループで討議)
 
グループセッションの中での発言
○学生3  私は1979年に誕生して、4歳のときに今の・・・して、毎日不満が積もって、12歳で卒業して中学へ入ったときに・・・、高校へ入るときに転校しなければいけなくなって、かなり迷惑だったんですけれど、そのときに自分の意見を人前ではっきり言うっていうのが何か難しいなと感じて・・・。
 5歳のときに高校受験する準備をして、毎日夜もしてて、このとき一生で一番勉強ときだと思うので。
 志望校へ受かりまして、17歳のときに・・・。みんな会話してたりしても、だれもはっきり人のことなんて聞いてないと思いまして、ああそうなんっていうふうな相づちうってるだけで、実際そのことっていうのをしっかり聞いてないし、マンガの話して笑っているのが愛想笑いとか思うようになってきて、すごい心閉ざす時期がありましたね。あのとき何人かは、だから学年で5人ぐらいの人としかしゃべりたくなくて、だから弁当を食べる時とかも教室で食べたりすると・・・いつも昼休みなんかになると公園に行って、・・・。
 18歳のときに受験勉強をするときに助けられたり、教えたりしているときに、ああやっぱり人なんかなぁというふうに思います。いっぱり友達がいてたほうがいい。それで・・・登校しだしたけど第一志望に落ちて、そのとき多分、生まれて初めて大きい挫折というものを味わって、すごい悔しくて眠れへんかったの覚えています。かなり努力して、それでも・・・第一志望じゃなかったけど、来たところへ一番行きたくなかったように・・・。
 今の予定では22歳で卒業して、留学したいなと思っているから留学して、1年か2年かしたら23歳かぐらいで帰ってきて、県立医科大学の大学院へ行きたいと思ってます。そして卒業して、研修医で2年やって、26歳ぐらいのときからカウンセラーになるための勉強を始めます。それは何年かけてでもなろうと思ってて、なって2年ぐらいたって落ちついたら結婚する。1年後に妻子持って、その2年後に次の子供を持って、2人いるのが希望かなと思います。それから後は書いてないです。(グループのメンバーから拍手)
○学生4  私は・・・歳のとき・・・その大事なときにお父さんが亡くなってすごく悲しい思いをしました。このころは大阪に住んでいたんですけど、甲子園の方に引っ越して、そして幼稚園に入ったんですけど、・・・公園で倒れてしまってけがをしました。それで5歳はヤマハでエレクトーン習って、エレクトーンを弾いて育ってます。
 6歳で小学校の入試をして、それから8歳で何か英語を習って、ピアノを習いはじめました。ピアニストになりたいという夢を持ちました。10歳で大阪音楽大学の・・・学園に合格しました。・・・それで、ピアニストになる夢をあきらめようと思って、これがここに書いてあるように失望。すごい失望して、12歳のときに小学校を入り直して、カウンセリングを受けてて、それでカウンセラーになりたくかったんだけど、単純ですけど。
 それで13歳で中学校、それでバスケットボール部に入って、その顧問がすごく厳しい人で・・・。
○学生5   高校までは特になにもない子だって、高校2年でクラブにちょっと頼りがいがあって・・・高校3年で受験して、大学になって、そして今なんですけど。・・・、1つは素直に4年間で卒業する。3年ぐらいでアメリカに留学をして、4年で普通に卒業してということになるんですけど。
 もう一方は、来年か再来年までいて・・・アルバイトをしながら週の半分はアルバイトをして、半分は何か自分の好きなことをやったりとかいろんなことをしているというのもいいかなって。それをして大学に結局5年か6年か居て、その後は自分の興味のある業種は今はちょっとあるんですよ。それにすぐ就職という形は無理だと思うんで、アルバイトをする形で2年か3年ぐらい自分一人で、その後でちゃんと仕事をもらえるようになって、5年後くらい・・・したら私がやりたいことも本場に行って実力を試すと。もしできるならそこで20年頑張って50歳ぐらいまでに目標を達成して終わる。・・・私の人生・・・。在学中に留学して・・・と思ってます。
○学生6   向こうの大学で英語を教えるのに資金は・・・
○学生5   資金はないんですけど、でも自分の目的というのはあまり学業の方じゃなくて、視野を広げるというか、アメリカっていう場所で自分がどれだけ・・・・。
○学生7   私は小学校まで行って、中学校で受験で、・・・やっぱり友だちとかと夏なんかは家庭教師しまして、すごい不安だったとか、・・・それまではずっと病院に入っていて・・・。
○学生8   私はちょっとややこしいですよ。皆さんと十数年、年が違いますから。196○年○月に生まれました。1歳半になったときぐらいに妹が産まれて、私は3人兄弟の真ん中で、常にごはん・・・母親が働いていたので3歳になる年に保育園に入ります。神戸市で生まれて、生後4ヵ月に伊丹市へ引っ越しして、それからずっと伊丹市にいます。伊丹市の小学校、中学校へ行きまして、・・・。高校は女子校といいますか、武庫川女子です。そこで初めて女の世界、1クラス54人15クラスあるんですが、880人の女子がおって、それに中・高同じ校舎だったからね、・・・計算したらすごいですけど。朝、学校へ・・・セーラー服が・・・そこで考えたのが、このまま大学を出ても・・・4分の1しかいなくなる。4分の3はその他に行く。・・・駅降りたら地下道があって、それで学校へいくんですね。その地下道で・・・そして大学へ行くと黒い制服なんですね。大学に入るとカラスと呼ばれる。何かそういう人生にちょっと疑問を感じて。それと母親がパート労働者ということなんで、社会的に資格がある方がいいよっていうことで、それならよそへ行ってみようかということで、中学校から私学の学校しか知らないですし、それで違うところを・・・。
 看護学校へ行くときに家を・・・で、寮生活になるんですが・・・友だちもいてないからということで、京都の方の・・・そのまま看護学校を3年間過ごして、就職するかどうかで悩んだんですけど、一番印象に残った産科実習で赤ちゃんを預かる仕事やったら助産婦学校へ行こうと思って、それと看護学校を・・・そのまま・・・そこで1年間過ごして、・・・そのまま看護学校についてる病院へ就職しました。もう友だちもほとんどそこへ就職するし、・・・みんな学生時代から・・・スタッフのことも動かしたいし、・・・アットホームな職場で・・・。
 妹がですね、突然できちゃったですね。妊娠してしまって。妊娠したんならそりゃ結婚せなあかんなと言うとって、結婚を私が就職して2年目の3月に結婚したんですけども、・・・それで看護婦だからということで、・・・そういう場所におった方が手伝えるからなと思っていた矢先に、父親が妹が結婚して気が抜けたんか、脳梗塞で倒れて、右麻痺と言語障害に陥って、一時は寝たっきりになるかもしれないというのが、そういう状況の中で双子が8月に生まれて、私は大変になってしまって、共同病院へ・・・。
 今までよく知っているところ、もう昔から知っている中で働いていたので、今度は全然知らないところ・・・というところでちょっと・・・考えているのに阪神大震災ということなんですよ。やっぱり人間はしたいことしなあかんなぁというふうに人生を考え直して、・・・。
○学生9   普通に中学校まできて、中学校のときに・・・高校3年ぐらいに・・・めちゃ素直な真っ直ぐに進むような人間で純粋な少年に出会って、同級生なんですけども。めちゃくちゃいい人なんですけども、後半一緒に勉強しなかったんですけど、・・・。ことしの夏に2週間、1カ月ぐらいモンゴル・・・モンゴルから帰ってきて、また少し治って、さらに純粋になるんですけど。たまに語っていたらいきなり泣きだすような、そういうような人です。
 最近、10月ぐらいに入って調子がおかしくなって、何か自分のなんとなく悩みだして何か台風がきたときには、「これは神が怒って僕は悪いことしたからイエスキリストが怒っているんだ」という状況に追い込まれて、何か夜に電話かけてきて怯えている。それが僕にはまだ理解できないんですけど、何で・・・まだ治る兆しはないんですけど。僕は何にもできずに・・・・・しばらく会っていないですよ、2カ月ぐらい。会うと親が、行くとなったら心が乱れるから会わないでくれというあれをもらいました。
 精神病院に行って、大学を一旦休学しているということで、・・・僕はそれでも3日ぐらいで治るんかなと思っていたんです。・・・そんなに悩む人がいる一方、僕は全然、悩めてないんで。そんな今までそういうふうに・・・悩む方が成長する。
○学生10   僕はことし経営学を取っていますので。自分で入ったんですけど、何で入ったかというと、そのうち自分で会社でもつくりたいなと。会社をつくるんだったら別に経営じゃなくても、ベビーショップをつくれればと思ったんやけど。とりあえず経営学を取った。別に会社つくるのが目的ではなくて、会社つくって、できたら大きくして・・・政治家になろうと思っているんです。政治家になるんやったら法学部へ行ったらよかったかなと思いながら、けれど先に会社をつくって大きくして有名になって、実績上げて、そして政治家というふうに選んだんですけど、遠回りさ。そこまでせんでもなれるんじゃないかと・・・・。
 後、国家公務員一種の大蔵省に行ってと考えたんですけど、勉強できるかなと。それはちょっと、そこまでできんなと。・・・やって政治家やれるのかなと考えてます。
○学生11   政治家にもいろいろ種類があるじゃないですか。政治家とうポジションに位置するためだけとか、政治家になってできることがあるからなるとか。
○学生10   いや、もっとこの日本のためにですか。今のおじいちゃん方がやっている政治と僕らが思っている・・・。何か本当にあんな政治がきらわれているような、あれ国民の代表じゃなくてもっと違う人、若い人でばしばしいっていろんな人。
 ただ、あれは大体が50歳以上の老人。老人でもないけどももっと30歳とか・・・もっとエネルギー、政治に熱さが必要ではないかというふうに。ちょっと今、ないんですけど政治・・・もっと活発に。できたら小渕さんがやっていること将来やりたいなと、修行せなあかんなと。その修行も全然、今してないから。どういう修行?いろいろ修行しなあかんらしい。いっぱいありすぎて。できたら25歳から被選挙権・・・。今は会社をつくっていこうかなと思っていたけど、地方議員、市議会議員というんですか、そっちからいこうかなと思ってます。市議会議員に25で立候補して、それぐらい実績を積まないと市議会議員にも受からないということは、今18だから。
○学生11   18なんですか。
○学生10   はい。
○学生11   いや、とっても同学年とは。
○学生10   卒業したら22だから、ということなんですが。何からどうしたらいいのか思い悩んで、まぁいいかと。
(書き込み中)
 もう時間がなくなってきましたが、今のを聞いたり、自分のを発表しながら自分で新たに気がついたこととか、あるいは、人のそれぞれ本当に十人十色で短い時間ではもったいないくらいのいろいろな資料だったんですけれども、それについて何か感じたこととか、そして人のを聞いてもう一度自分を振り返ってというのがあれば感想、コメントを書いてみてください。
 話し合う時間かなり長く取ってしまったので、それを踏まえて資料の方へ戻ろうと思ってましたが時間がなくなりましたので、それは来週に回したいと思いますので、このきょうの資料はまた来週も持ってきてください。
 今、書いていただいたライフイベントの紙の続きに感想とかを書いて、学籍番号と一緒に書いて提出してください。
講義録(平成10年11月26日)
 
第7回 女性のライフコース(3)
 
西垣悦代(和歌山県立医科大学)
 
 
1.学生の進路 −アンケート調査と調査結果の解説
 
(授業の最初、学生は西垣の行っている進路についてのアンケート調査に協力した。この部分は省略する。すでに資料が配付されている)
 
進学動機
 (資料を見ながら)では、まずですね、これはいくつかの項目文によって構成されているんですが、まず一番最初は、どういう動機で進学したかという理由を尋ねる項目です。これは私は、短期大学とそれから4年生大学、最初は女子学生中心に調べましたが、去年、神戸大学で男子学生を含めてデータをとりました。これは個人個人の選択ということと、それから大きなグループで平均的にその進学の動機とかライフ構想を調べてみようという、その中に位置づけされている調査なんですけれども、この進学に関する25項目を因子分析という手法で分析しましたところ、二つの要因が見出されました。何と名づけるかちょっと迷ったんですが、とりあえず「積極的な進学の動機」というのと「消極的な進学の動機」というふうに仮に名付けているんですが、これは消極的が悪いという価値観ではありません。
 積極的な進学動機というのは、こういう勉強をしたいとか、こういう資格をとりたいという、大学に進学するという本来の目的に近いものです。それから、消極的進学動機というのはですね、これはまだ社会に出たくなかったというのとか、就職したくないというのも含まれていますが、自由な時間が欲しいとか、自分の可能性を見つけたかったとか、いろんな人に出会いたいというような項目です。積極の反対が消極ということではありません。・・・項目を2つのグループに分けて、それらを「積極グループ」「消極グループ」と呼ぶことにしました。そして、積極性と消極性を示す値として因子得点として求め、「積極得点」「消極得点」と呼ぶことにしました。この因子分析の手法は統計学などで勉強されることと思います。
 積極の人は積極得点が高く消極得点が低いということではなくて、両方高い人もいれば、片方が高くて片方が低い人もいれば、両方低い人もいるということで、全体的にいっても今日大学に進学しようという人は、その本来の目的もあれば、いろんな自由な時間を欲しい、あまり縛られない時間として進学、大学4年間を位置づけているという、そういう傾向が見出されました。
 細かく言うと学部などによっても違いがあるんですけれども、簡単に言いますと、わりと卒業後の進路が明確な学部や学科の人は積極得点が高いですし、そうじゃなくて4年間で模索しようと思う人の多い学部もいるということです。
 
入学を決めた理由
 それから、次の質問はですね、入学を決めた要因ということで、これは他に選択肢がないという場合もありますが、これは今度は大きく三つに分かれました。一つはですね、この学校に行けば専門の勉強ができるとか、もう自分の学びたい科目があるというような、専門性に関する因子です。
 2番目はですね、施設とか設備に関する、専門性以外の要因ですね。施設とか設備の充実、あるいは通学に便利とかですね、家から近いといったようなそういう利便性も含まれています。
 それから3番目はですね、大学のイメージ、校風とかスクールカラーとか言われているものとか、世間の評価、特に国立大学であれば世間的にも人からある程度評価されているといったような要因です。
 これら三つの組み合わせによって構成されているということがわかります。
 
効力感
 次ですが、次の3番目の項目。これはですね、「効力感」と呼ばれるものです。これはバンデューラという人の概念なんですが、自分は何かできるんだというそういう気持ちの強さの傾向を調べているものです。困難なことでも頑張ろうとしているかとか、あるいは人よりは何か優れたところがあると思うかといったような質問があったと思います。効力感が高い人はチャレンジをする傾向、あるいは自信も高いと一般的に言えます。これは実際の能力の高さとかそういうことではなくて、自分の意識の中での効力感です。
 
男女平等感
 次は、質問から大体予測がついたと思いますが、男女平等感、性役割観を質問しています。これはですね、男性と女性と平均値で比較した場合は、女性の方がかなり高い傾向に出るようですし、全体的な平均をみますと短大生よりは4年生大学の学生の方が高い傾向がありました。男女平等にやっていこうと思うからこそ同等な資格や学歴を得ようと思って進学してくるためかもしれません。
 また、この点数というのは、その後にありますライフ構想、つまり、仕事、職業をどのように自分のライフ構想の中で位置づけるかということに関連があるような結果になっています。
 
出身校や母親の影響
 最後の項目ですが、これは出身の高校の進学率とかあるいはお母様が仕事を持っておられるかとかいった、これはオプションにしていますけれども、そういった質問なんですね。傾向としては、これはもちろん全員ではないんですが、傾向としては女性の場合は、お母さんが働いていると自分も仕事志向になりやすいとか、あるいは進学に関してはですね、進学するのが当たり前といった雰囲気の高校にいるのか、それとも自分のいる高校で数少ない進学者の一人であるというのとでは、かなり進学に対しての意識も違いが出るというようなことで、それを尋ねているコーナーです。
 まだ、これは調査の途中というか途上にありますので、全体的に結論めいたことはまた出ていないんですが、一人ひとりのライフ構想選択と同時に、平均像として見た場合、現在青年の進路選択という傾向を見出そうとしている調査です。
 以上で、一応この質問紙に関してはちょっと簡単でしたけれども、説明とさせていただきます。
 
2.女性のライフ構想とそれに関わる諸要因
 
 次にですね、先週お配りしていました4枚つづりの、女性のライフ構想とそれに関わる諸要因、この資料をもとに、現代社会の動向といったものを簡単に説明していきたいと思います。その後この資料とそれから皆さん自身の自分の選択とかですね、将来の計画とかそういったものと併せて、またディスカッションの時間をとりたいと思います。遅れてきた人、資料ありますか。
 先週は、現代日本社会の最近の傾向として、高学歴化、晩婚化、そして女性の就業形態の変化、少子化、高齢化、長寿化などをあげたんですが、それは一人ひとりを詳しくとり上げていると、それだけで1時間2時間必要なぐらいの問題ですが、これは今の調査と、それからこのあとにやりますディスカッションとも絡めながら、全体的な傾向を簡単ではありますが見ていきたいと思います。
 まず、最初2枚目ですが、高学歴化ということで、これは皆さんに今やっていただいた進路調査というのも関連してくるんですが。現在18歳人口は減っていると言われていまして、大学などの門戸もかなり拡がっているんですが、左の真ん中のグラフを見ていただきましょう。これは高等学校への進学率です。これはもうかなり昔、昭和55年あたりから96.7%に達しまして、それ以降100%にはならないんですね。どうしてもドロップアウトしたりとかですね、そういう人もおりますし、100%になりません。98%ぐらいでかなり昔からずっと推移しています。ですから、日本の社会に生まれたら、高校まではもう行くのが当たり前といった時代になってから随分長くたっているわけです。
 その先の進学は、あるいは就職か進学かというのは、実質的な初めての進路の選択ということになると思うんですが、その進学率の推移、これは大学・短大の進学率の数字ですが、今の左の一番下のグラフです。これを見ますとですね、真ん中が平均で、男子と女子とちょっと開きがあるんですが、昭和50年ぐらいに40%台。それまでずっと上り調子だったんです。かなり急激な上昇だったんですが、ここで一旦一段落しまして、ずっと同じような平坦な状態が続いていたわけです。年によってはちょっと下降したこともあるんですが、しかし、平成2年あたりを境にして、もう一度この大学進学率が上昇の気流に乗りまして、しかもここで男子と女子との逆転現象が起こりました。
 短大進学者というのは実質はほとんどが女子なので、4年生大学だけの進学を見ますと男子の方が高いのですが、大学・短大併せた結果を見ますと、むしろ女子の方が進学率が高いということに現在ではなっています。
 これは平成6年までのデータですが、もう45%に達していまして、いずれは50%に近づこうかという、それくらいの勢いになっています。18歳の人口の約半数がもう大学に行く時代ということで、非常な高学歴化社会になりつつあるということです。
 それをもう少し詳しく見たのが右上の大学進学率の推移というグラフなんですが、これは短大、4大、そして大学院、それぞれもう少し詳しく見ていただくんですが、一昨年ぐらいに短大と4年制大学、女子の進学率が高い短大進学者より、4年制大学進学者の方が多くなるという、そういう現象が出始めました。ここでも高学歴化の一端があるわけです。
 この資料の中にはですね、専門学校進学者というのが全く含まれていないんですが、これもかなりの人数がおりまして、特に女性の場合はですね、保育専門学校とかあるいは看護専門学校だとか、専門職の資格を得るための専門学校進学者というのもかなりの人数おりまして、それらの人たちを併せると、今でも70%を超える人が高校卒業したあとに何らかの勉強をしていると、そういう時代になっています。
 そういう皆さんも、高校卒業するにあたってというか、進学する人その前から準備していると思いますが、どういう進路を目指そうかとしたときにはですね、その先の職業のことも漠然とではあるが考えた人も多いかと思いますが、実際にでは、大学を卒業した人というのはどういう職業に就いているかというのが、右の真ん中のグラフですね。
 男子と女子とでかなり違った傾向が見られるんですが、男性の場合、技術者、いわゆるエンジニアの人たちがかなりの割合を占めています。それにくらべて女子の方はかなり少ないです。一番多いのが事務従事者、いわゆるホワイトカラーの事務職と呼ばれる人たちです。これはだんだんとOA化とか、あるいは最近の不況とか、そういったことでいわゆる事務屋さんというか事務従事者というのはあまり必要なくなってきている。中高年ですとそういう人たちがリストラの対象にされているというような傾向があります。それに反比例して増えてきているのが販売従事者、いわゆるセールスの職業の人で、この人たちはオフィスのOA化の影響で減るということはないという、やはりどうしても人間がやらないといけない仕事ということで、相対的な割合が増えています。
 女子の場合はですね、4大と短大でちょっと差が見られますか、4年制大学、短大とも多いのは教員ですが、女子短大の教員というのは小学校・中学校よりも多くは幼稚園の教員というのが多いです。うちでは両方とも多いのが保健医療従事者で、これは医師・看護婦、そして、いろいろな医療技術の専門職の人も含まれています。女子短大のその他の職業というのは、栄養士とかそういったのが主な職業だと思います。
 これもかなり詳しく見ていきますと、時代とともにこの比率が大きく変化しているというのがその下のグラフです。これは4年制大学のみに限っているんですが、昔はこれは絶対数はどんどん増えているんですが、割合として見た場合、昔は4年制大学を出た女子学生というのは、40%近くが教員になっていたわけです。実際、女子が大学に行くというときには文学部と教育学部がほとんどでしたので、こういうふうになったんですが、それに比べて段々といろいろな職業に進出するようになってきたという傾向がみられると思うんです。
 しかしですね、最高学府の4年制大学を出てなる仕事も、この全体を見ますと販売や事務従事者で、必ずしも専門的な、大学で学んだことを生かした職業とは言い切れない場合が多い。そのあたりがこの高学歴化となる50%近くの人が大学に行くということです。大学だけで本当の専門性を究めるということにならないということが言えるかもしれません。
 しかし、一方、親の側はですね、どのような期待を持って、子どもを大学にやっているのかというのが真ん中の下のグラフです。これは、ちょっと2問ずつなっていますが、上が男子で下が女子です。男性のは場合はですね、親の期待としては大学にやれば大企業へ就職できるという期待を持ったり、あるいは社会に貢献できる人間というのは割と建前的な回答のような気もしますが、質の高い教育が受けられる。そして、女子に特徴的なのは、よい結婚相手を見つけるためというのが20%いるというのが女子の特徴かと思います。
 このあたり、子どもの側から見た意識と親の期待というのにずれが多少ありまして、皆さん自身も自分が進学するときには、親はどのようなことを期待していたかということを、あとでディスカッションの時間に考えて頂きたいと思います。
 では次のページを見ますが、3枚目にいきたいと思います。結婚・子ども・老人と書いてあります。4枚目でした。高学歴化するということは社会に出るまでに時間がかかるということで、これも晩婚化の一端を担っているというか、そういう原因の一つにあげられています。タイトルの横にあげてありますグラフが25歳から29歳までの離婚率の推移ですが、これは1990年で終わっているんですが、これは今でも上昇の一路を辿っていまして、20代で結婚する人というのは、もう男性では半分よりも少ないという、それくらい結婚の年齢が遅くなっているという、そういう傾向です。ただ遅くなっているというだけじゃなくて、もう一生結婚しないというような人も割合的には増加しているわけですが、なぜなんだろうかというその質問に対して、その下ですね、独身に留まっている理由というのがですね、男女別に聞いているんですが、「適当な相手に巡り会わない」と、男性も女性も「相手を探しているんだけれども、適当な人がいない」という、そういう答えが非常に多いんですが、またしかし反面、「結婚と引換えに自由や気楽さを失いたくない」とか、「必要を感じない」といったような答えもみられるようなところから、現在、社会が随分便利になっていますし、家を継ぐとかそういったような価値観がくずれています。そういう人が増えているのかもしれません。
 特に女性に限って見た場合、「じゃ、どういう条件が整えば結婚するんですか」ということを聞いてみますと、その下ですね、「姓が変わらない」。それはそんなに多くないんですけれども、「結婚しても職業を続けたい」。結婚して子どもができるというようなことありますと、なかなか仕事を続けられない。それが大きなネックになっているようです。そして「結婚後も生き方を変えない」「相手の家のしがらみを受けない」「自分の時間を大切にする」等々、いろいろとかなり人によってはこれを随分わがままだと思われる理由も並んでいるんですが、個人的に言うと私はなんかすごく納得できるなと思う理由が多いんですけれども、そういうふうに、なかなかしたい気持はあるけれども、相手が見つからないということのようです。
 しかしですね、そういうことが今度は少子化に拍車をかけているということもよく言われるんです。子どもというのは、一体どういう存在なのかということを、これは各国別の比較ですが、左の下ですね。日本、韓国、タイ、アメリカ、イギリス、スウェーデンを比較しているんですけれども、子どもを育てるにはお金がかかるということがよく言われるんですが、それは日本はむしろそんなに多くない方ですね、先進国、アメリカ、イギリス、スウェーデンの方がよっぽどそういう回答は多いです。
 次の社会を担う存在だという答えがどこの社会でも多いんですが、家を継ぐというのは日本では非常に低いですね。これはそういう家意識が本当にこんなになくなっているのかどうか、建前の答えなのかちょっとよくわかりませんが、しかし、老後の精神的な支えというふうに答えている人も、これは各国ともに非常に高いですね。経済的支えを期待する人は少なくても、精神的な支えとしては非常に子どもというのは重視すべきであるということです。
 より具体的に、「家庭において子どもというのはどんな存在か」という質問、これが真ん中の上ですが、これは日本人に聞いている質問です。「家庭に明るさや活気を与えてくれる」とか、「喜び生きがいを与えてくれる」といったような答えから、「自分も一緒に成長できる」。これはやはり一緒に時間を過ごす女性の方が男性よりも(割合が)かなり高いという回答になっています。
 しかし実際、子どもというのは随分大切な存在ではありますが、欲しいと思った子どもの数だけ実際に産んでいるかというとそうではない。3人欲しいんだけれども、2人にしておこうとか、2人欲しいけれども、1人だけというんですね。自分で自らそのように選択をする家庭も増えています。その理由は何なのかと、これは人口問題研究所、ここは少子化を非常に憂いているところですが、この調査によりますと、「理想の子どもの数を持たない理由は何ですか」と言いますと、「お金がかかる」、「高齢で産むの嫌だ」という回答が上位を占めています。あるいは家が狭いというかなり極めて現実的な回答もあります。
 そのようなことから、高学歴化して仕事もしたい、そして子どもがたくさんあると仕事も続けにくいとか、お金もかかるというようなことも少子化に拍車がかかっているようなんですが、しかし、今度は自分がいよいよ歳をとったときにはどういうふうに考えているかという、高齢化社会というのが、一つ大きな問題になっているんですが、老後を子どもに頼りたいかどうかという人は、その真ん中の下なんですが、そういうことを考えている人は極めて少ないということがわかります。19%ちょっとですね。老後を子どもに頼るつもりはないと言っている人が60%。かなりの差があるんですが、しかしですね、本当にこれは経済的に頼るつもりはないんだけれども、精神的な支えにはなって欲しいというのが先ほどの答えでも見られていたわけです。
 精神的な支えだけじゃなくて、「寝たきりとなったときはどうなのか」という答えは、右の上ですね。「寝たきりとなったときに、介護を頼む相手として誰を期待しているか」。これは男性と女性とで大きな差が見られるんですが、男性の場合、配偶者、つまり妻に介護をして欲しいと答えている人が75%です。しかし、女性の方は配偶者、つまりお爺さんにやって欲しいという人は33.6%となっています。女性の場合は、しかし、その代わりに、娘や嫁に世話をして欲しいと答えている人が21%いるわけですが、この差はですね、これは男性は自分よりも奥さんの方が元気で長生きするんだということを暗黙の前提にしているような、そういうことからこういう結果になっていると思いますね。しかし実際には、奥さんの方が年が若くても、先に寝たきりになってしまったり、亡くなったりという場合があるわけですから。そういった事態になりますと、当然この奥さんに期待できない分、娘とか嫁に期待がかかってくるということが予測されます。
 これをもう少し細かく見たものが、一番右の下ですね。身体が不自由になったときに、自分の親とそれから配偶者の親、それぞれ一体どういうふうにしようと考えているか。「面倒をみる。」これは子どもの側からの回答なんですが、同居して面倒みるという、そういう答えがかなり多いですね。男性が自分の親と同居して面倒みるというのが最も高いです(65.2%)。しかし、じゃ、男性が自ら同居している自分の両親の食事の介護や下の世話をするのかというと、多分これは奥さんに任せるという意味で、ただ単に引き取るというだけのことなんだと思いますね。そうしますと、やはりますます女性にしわ寄せがくるということが予想されます。
 一方ですね、女性の場合は自分の親、これは人によってはですね、夫の両親と同居している、でも自分の親がどうかなったときには、というようなこともあると思うんで、やや低めにはなっています。45%ではありますが、しかし、女性の側も配偶者の親だけじゃなくて、自分の親だって同居して面倒みたいと考えている人がまだまだ多いということです。
 こういう意識の問題と、実際そういう状況になったときというのでは、随分また切実さが変わってくると思いますが、希望としてはこのような考えを持っている人が多いわけです。
 そのあたりの時代的な流れとともに、そういう意識がどういうふうに変化しているかということで、親を引き取って養うというか面倒みることについて、「それは子どもとしての義務だ」と答えている人は、かつての50%ぐらいから減ってはいますが、しかし、依然として高い。そして「やむをえない」という答えと併せますとやはり過半数を占めている。ですから、高齢化社会に向かって、やはり年老いた両親をどうするかと、そして自分の仕事あるいは自分の子どもということと併せて、家族はどういうふうになっているのかというのが、やはり一人ひとり真剣に考えないといけない問題かなというふうに思います。
 さてですね、そういう家庭の様々な問題というのは、女性が仕事を続けるということに関して、非常に大きな影響を与えるものなんですが、3ページ目の資料を見てください。今の日本の現状としては、やはり、何か病人とか、お年寄りが家に居るといった場合には女性はなかなか仕事を継続しにくい状況であるということがわかるわけですが、それと子どももそうですが。そういう傾向について、真ん中のいくつかのグラフを見てみます。「女性の労働力率の国際比較」という欄です。
 労働力率というのは実際に働いている人と、それから働く意志があって、今求職中の者を足した数の全体に対する割合です。求職というのは職を求めるということですね。まだ見つかっていないけれども、働く気がありますよと答えている人を併せたものを労働力率というふうに言っています。ですから、もう全く家に居てそれでいいんだと、仕事をする気のない人や学生をやっている人はこの労働力の中には含まれないことになります。
 このグラフですが、真ん中の大きいのが日本・アメリカ・スウェーデン・フランス・韓国の比較です。30歳から34歳あたりで落ち込んでいるのは日本と韓国だけです。これはよく新聞などでも言われますが、女性の労働力率のM字カーブと言われるんですが、出産・子育ての年齢のときに働く意欲や意志が落ち込むというのは、ほかの西洋の先進諸国には見られない現象だということですね。
 それは保育所とかあるいは産休、育休などの制度や施設の充実がまだまだ不十分なことの表れとして指摘されることが多いんですが、そういう日本の状況の中でも、年代を追って見ていけば除々にそのMのカーブの落ち込み具合が減っている傾向があります。それがその上の2−4ですね、1960、70、80、90と時代を経て、出産年齢とかが上がっているので、Mの位置も段々右寄りになってきて、そしてさらに落ち込む。切れ込みの具合も1990年にやや浅くなっています。というようなことから、変化の兆しは見られますが、なかなかまだまだといったようなことだと思います。
 このページはですね、先ほど皆さんに答えていただきましたアンケートの中にもあった、性役割観についての質問が多いんですが、女性を仕事を持つことについて、「結婚するまででいいんじゃないか」、あるいは「一時、子どもが大きくなるまでは離れた方がいいのではないか」というような、そういう考えについて、4年制・短大、これは学生に聞いた答えが左下です。4大と短大は若干意識の差が見られます。
 それから、それだけじゃなくてですね、男女ともに見た性役割の分業観、つまり「女性は家庭で男は仕事」というような、そういうような伝統的な考え方にどの程度同感できるかといったようなデータが右側の一番上、それから真ん中。男性と女性を見ますと、やはりかなり違いが、未だにというか見られますし、これは年代によっても随分と違いがあることがわかります。
 そのような、あと先ほどのアンケートの中でも、お母さんが仕事をされているかどうかという質問もあったんですが、実は実際に自分のお母さんが働いていたかどうかで、自分がどうしたいかという気持ちに影響があると。これは女性に限った場合なんですね。左の真ん中なんですよ。女性の職業の持ち方、母親の職業別に見た場合、お母さんが正社員で勤めていた人が、じゃ自分はどうしたらいいかと、お母さんは専業主婦だった人の場合というのを比較したんですが、子どもができたら仕事を持たない方がいいという答えが、職業を持っていなかったお母さんの娘は40%に対して、働くお母さんに育てられた娘の場合は30%。それから子どもができても仕事を続けた方がいいという答えが、丁度今の逆ぐらいで、専業主婦のお母さんに育てられた人は30%ぐらいなのに対して、働くお母さんを見て育って人は40%というふうな、その先輩として一世代前の女性がどういうふうに働いてきたかということを身近に見ていることが、本人のライフ構想への変更に影響が与えられているということがこの中で見えてくるんじゃないかと思います。
 そういうようなことを全部併せてみまして、これは女性にだけ関わりのある問題ではないということが1枚目の真ん中の上ですが、真ん中に最近の社会的状況ということで、左側に男性、右側に女性のどういうふうな影響があるかということそれぞれ書いてあるんですが、長寿化そして少産・少子化、家事の省力化というのはですね、男性・女性それぞれに影響を及ぼしていると。そして、結果としてその両側の、伝統的女性役割とか、伝統的男性役割というのがどうしても収縮してしまって、女性の場合社会生活の比重が増大し、男性はじゃこのままでいいかというんじゃなくて、今度は家庭生活の比重が重くなってきている。男女ともに役割の違いが全くないことはないんですが、だんだんとボーダーレス化していくのではないかと、そういうことが言えます。
 先ほどのアンケートの中には、ライフ構想の希望というのを、女性の方だけですがお聞きをしている質問がありましたが、右側が理想とする割合と実際にそうなりそうだという割合の違いを示しています。これはちょっとデータが古くて、こういうのは本当に毎年毎年変化しているものなのでやや古いんですが、理想とそうなりそうな割合のギャップというのも見ていただければと思います。あとでディスカッションの参考にしていただきたいと思います。
 だいぶ時間がなくなってきました。実はですね、女性が中年になったときに危機をもう一度迎える。この真ん中にあります岡本優子という広島大学の先生なんですが、一旦青年期で私はこうだというふうにアイデンティティを確立するんですが、仕事を持ち続けている人と専業主婦になった人では、中年にさしかかったときに、その自我同一性の得点にかなり変化があると。これは専業主婦になった女性がですね、中年にさしかかったとき「自分とは何だろうか」ともう一度自分に問い掛けたときに、危機が訪れる。子育ても終わってしまったし、私は何なのかというようなことで悩み始めるというような。それはちょっと時間がないのでそれくらいにしておきます。
 
グループ・セッション −集団討議
 先週と大体同じようなメンバーに分かれていただいて、どちらでも好きな教室に分かれてください。充分な時間がないんですが、きょう駆け足で説明しました現代社会と自分自身の選択や希望について何か話し合ってください。
 話し合いの参考資料というわけではないんですが、比較的最近の新聞の中から、皆さんも見られた方もいるかも知れませんが、就職について、それから少子化についての、最近の新聞記事から少し選んだものがありますので参考にしていただいてもいいかと思います。(新聞切り抜きのコピーを配布する)
 もう自由に話したいことがあればそれでもいいです。ここに、最近の朝日新聞と神戸新聞のコピーを用意してきました。どこかで見た記憶があるかもしれませんが。これは一応統計的なデータなのですが、そういうことと自分たちの今、将来への展望とか、あるいは周囲の友だちなどの考え方とか、そういうものと結びつけながら自分の考えを話し合ってください。
 
(グループに分かれディスカッション。その後、感想文を書かせ、提出させて授業終了。)