FD講演会(2002年3月7日)要旨

 

「学生参画型授業の実践と理論」

 

講演者:林 義樹(武蔵大学人文学部教授)       

文章責任者:山内乾史(神戸大学大学教育研究センター助教授)

 

 林教授の講演会は、参加者の数こそやや少なかったものの、非常に豊富な資料と、林教授の情熱あふれる語り口とで多くの参加者に深い感銘を与えたようである。ここには紙幅の都合もあり、そのエッセンスのごく一部を集録するに留まることをお許しいただきたい。林教授はここ20年ほど「参画型授業」の実践に携わってこられ、本誌に集録してある浅野誠氏(前中京大学教授)と並んで、この領域のパイオニア的存在である。林教授のいう参画とは何か、林教授によれば、表1に示したとおり、授業への参加のありかたは、参集→参与→参画の三段階をたどる。

 参集とは、「参加者はその”場”にいあわすだけであり、参加者同士、またはプログラムを提供する側と交流するような行動はみられない」のであり、参加者の役割は聞き手、つまり「出席・視聴・記録」に限定されている。参与とは、「参加者同士、またはプログラムを提供する側とインタラクティブな行動をとることになる」のであり、「その”場”に部分的に関わることになる」のである。林教授によれば、少なからぬ発信型・双方向型と称する実践の多くはこのレベルに留まっている。これらに対し、参画とは、「主体的な参加の究極的な到達段階」を設定し、提唱する。ここでは「自分から、その”場”の企画を立案し、それを実施し、責任を持って自己評価する。こうして参加者は、プログラムの主催者側とともに、その”場”をにないあうことになる」のである。いわば参与型が受動的参加であるのに対して、参画型は能動的参加なのである。ここでは参加者の役割は設営者、つまり「企画・実行・伝承」となるのである(後掲、林(1994))。

 このような授業形態の変化は、単なる技術的な問題に留まらず、伝えられるべき「知」の性格をも変質させる。(図1,図2参照)

 この参画型の授業とは現実にどのようなものかが、豊富な資料を交えて極めて具体的に解説され実践された。またポートフォリオの作成法などについてもノウハウが開陳された。ただ、この具体的な部分については言葉で要約するのは非常に難しい。さし当たり、林教授の著書、『学生参画授業論−人間らしい「学びの場」づくりと理論と方法−』(学文社、1994年)、『参画教育と参画理論−人間らしい「まなび」と「くらし」の探求−』(2002年、学文社)をご参照頂きたい。

 林教授の講演を拝聴して感じることは二点ある。まず第一に、現代は何かと「学生消費者の時代」といわれ、コンシューマリズムなるものが大学に襲いかかっているように思われる。しかし、そこで学生を単なる「お客さん」扱いするのではなく、林教授のように共同作業として授業を作り上げていく側面がもっと考えられていいのではないか。学生が、無責任に大学や個々の授業に評価をし権利意識ばかりを膨張させていく。他方、それを気にしながら大学や教員が日々の教育や授業の実践に汲々とするのは、いかにも生産的ではなく、消極的であり、授業担当に尻込みする教員がふえていきかねないという感じを受けるのである。そうではなく共同製作者として関わらせるというのは、一つのあり得る方向性ではある。

もう一つは、授業改善ばかりでなく、授業開発の視点を持つ必要があるということである。自らの授業を成立せしめる基本的なフレームワークを一度再検討し、何か新たな可能性はないか、伝達したいことがより伝達できる方法はないかと根本的な方法論を考えてみるきっかけがなければ、惰性に流されマンネリ化していくことになりかねない。林教授は学生の参加形態の開発という方面から授業開発に切り込まれたのだが、われわれも個々の教員としても、また大学全体としても、授業改善だけではなく、新しい授業の開発に目を向ける必要はないだろうか。(文責、大学教育研究センター研究部 山内)